パブリック・トイレ×パブリック・キッチンを提案する 8
「パブリック・キッチン」ってなんだろう?
中川エリカ(建築家、中川エリカ建築設計事務所)
そもそも、「パブリック・キッチン」ってなんだろう?
前回の原稿では、もともとパブリックな場所をキッチンに変換するとどうなるかという問題設定のもと、可変的なパブリック・キッチンを考察、提案した。わかってきたことは、パブリックな場所を実際にパブリックに使うためには、なにか仕掛けが必要だということだ。仕掛けの種類にはいろいろあり、みんながパブリックな場だと認識できる名前やプログラムを与えてみることもその例である。しかし、キッチンというのは、現代においては通常、私有された建物の中に配置され、仮に、建物外の街路からその様子を窺うことができたとしても、特定の人間のみが使うことを許された場であるという点から考えると、キッチンの多くは、そのじつ、プライベートもしくはコモンな質をもつと言えよう。だから、仮に建物外のもともとパブリックな場にキッチンユニットをポンと置いたとしても、それだけでは、まだ「パブリック・キッチン」と認識されるには不足がある。
では、なにが必要なのかといえば、そのパブリック・キッチンを人々がどう使うのかという具体性、つまり自由に使いこなす風景と、あたかもそこにあったかのように融解したキッチンのつくられ方なのではないだろうか。そうなるとその具体性は、どこでも同じというわけではなく、パブリックな場のもともとの状態やその周辺がどのような環境なのかによっても、変わるのではないか。今回は、このような仮説と、より個別で具体的なシーンを考えたいという思いから、移動しない(=場に固定される)パブリック・キッチンについて考察、提案してみたいと思う。
キッチンの配置と場の質の変遷
そもそも、現代において、キッチンがプライベートもしくはコモンな質をもつことが多いのはなぜだろう。キッチンの配置は、時代の要求、ライフスタイルとともに変遷しているのではないかと考え、住宅におけるキッチンの配置の歴史について、リサーチを行なった。
日本の先史時代、高床式住居では住居から切り離された「かまや」がキッチンであった。貴族階級の寝殿造でも、調理場は別棟にあり、住居内には、配膳空間だけがあった。江戸のキッチンについては、前回の原稿冒頭で触れたとおりであり、外部のキッチンはコミュニケーションの場にもなっていた。
明治、大正時代になり、住居内に台所が配置されることも多くなったが、キッチンで作業するのは主婦や使用人であったため、奥の閉じた空間に配置されていた。第二次世界大戦後、住居の量産が求められるとともに、キッチンの量産も求められるようになり、システムキッチンというプロダクトが生まれた。室内で安全に火を扱えるようになったことにより、徐々に家の中でのメイン空間に近い場所にもキッチンが配置されるようになった。そして、調理の場ということにとどまらずダイニングキッチンという場の考え方の普及により食べる場にもなり、住居の中心的存在となることも珍しくなくなった。すなわち、キッチンが内部空間、ひいては家の中心に位置するようになったことで、キッチンのプライベート性は増していったのである★1。
外部空間とパブリック・キッチンの親和性
平安時代後期に描かれた《紛河寺縁起》(12世紀頃)には、庭先で肉を筵の上に敷いて干したり、串に刺して立てている様子が描かれている。それら食材の横には鍋があり、外部空間で調理をしていたことを窺わせる。また、家族とおぼしき人々は、屋外のキッチンと隣接した半屋外の縁側で食事をしている。
この平安時代の家族に、「パブリック・キッチン」で食事をしているという思いなどなかろう。しかし、現代の私たちから見ると、長らく外部空間で調理されてきた歴史や、縁側という中間領域の質が味方となり、もし《紛河寺縁起》に描かれたこの場面にこのタイミングで客が来たら、食事を止めることなく、そのまま会話が始まり、なんなら来客も一緒に調理を始めそうな雰囲気さえ容易に想像される。言い換えるならば、われわれのいつものキッチンよりも、はるかにパブリックな質をもっているように感じることができる。
このことをヒントにパブリック・キッチンを考えるとして、たんに「焼く」という行為だけにフォーカスするのでは、キャンプ場のバーベキュー広場と変わらなくなってしまうので、ここでは「水場」を起点とし考えてみたい。
もしも公園の水飲み場がパブリック・キッチンになったら
外部であること、パブリックな質をそもそももっていること、水場があること、日常的に目にしているもののあまり活用されていない場所であることを条件に、「もしも◯◯がパブリック・キッチンになったら」の◯◯にふさわしい場を探してみると、公園の水飲み場に思い至った。水飲み場に寄生することで、パブリック・キッチンをつくれないだろうかという、やや突飛な発想である。
共通ルールとして、既存水飲み場の蛇口から排水までの高さの目安が約200mmであること、想定される公園の利用者層が使いやすいと感じられるように、キッチンカウンターの高さは「身長(mm)÷2+50mm」とすることを設計の基準とした。
実在する公園の選定
水飲み場が寄生先として最適かはわからないものの、仮説を立てなければ始まらない。そこで、今回は、①いくつかの実在する公園と周辺環境を読み取る。②その公園にある水飲み場をパブリック・キッチンとするために、キッチンが必要とする高さや奥行きなどの寸法体系をもとに、具体的な寄生方法をスタディ。③もしもその公園の水飲み場がパブリック・キッチンになったら実際どう使われるのか、具体的な登場人物を含めてシーンを考察する。
この順番で仮説を進めてみることにした。
冒頭に述べたように、パブリック・キッチンはその場を巻き込み、周辺環境から影響を受けるからこそ個別の具体性をもつのではないかということに興味があるので、敷地=実在する公園と水飲み場を選ぶにあたっては、特徴をもった環境を周囲に備えていることを条件とし、下記の3つを対象敷地とした(上からA公園、B公園、C公園と呼ぶことにする)。
A公園がパブリック・キッチンになったら
A公園が最も賑わうのは、西側の参道で夏祭りと連動した縁日が行なわれる時であり、地元住民だけでなく、旅行客や外国人観光客も訪れる。日常的には、親子が遊んでいる風景がよく見られるが、公園のサイズが小さく、アクティビティの起点が少ないので、短時間の利用となることが多い。
そこで、公園内の高低差600mmを活かすことを前提に、ふだんの利用者層として想定される親子がいつもよりも長居ができたり、縁日に際して地元自治会が気軽に集会を開けるようなパブリック・キッチンをイメージした。
具体的なシーンを見てみよう。例えば、4人家族とその友だち兄弟がパブリック・キッチンを使ってピクニックの準備をしている。お父さんが野菜を洗い、息子が盛り付けをする。姉はその横で、飲み物の準備をする。周りには、犬に餌をあげる若い女性、階段の上には、息子たちのキャッチボールを見守る父親がいる。
角度が振れた既存の段差を活用することで視線の交錯を避け、コンパクトな公園であっても、配膳、運動、ペットとの戯れという、種類の異なるアクティビティが複数、同時に存在できるよう、配慮した。
B公園がパブリック・キッチンになったら
B公園は、北側の車道に沿って、複数のベンチが配置されており、ベンチでは、おばあさんが座って小学生の通学を見守ったり、自転車に乗ったママさんがスマホを見ながら休憩をとったりしており、たいへん活用されている。近所に小学校があるため、放課後になると小学生が集結し、毎日サッカーや鬼ごっこを行なっている。
そこで、B公園のパブリック・キッチンは、子どもたちの運動を妨げないよう、キッチン自体はコンパクトにし、成長期の子どもたちが使いやすいように、掘り下げた床を階段状にすることで、多様な身長に対応した。主な利用者は小学生なので、安全面を考慮し、火は取り扱わず、作業台とシンクのみの構成としているが、シンクを大きめにしたことで、暑い日は、水を貯めると、果物や飲み物を冷やすことができる。また、ボールが飛び出さないように設けられている既存の腰壁の一部を拡張し、パブリック・キッチン側からも歩道側からもちょっとしたモノを置くことができる台とすることで、子どもたちと近隣住民の交流を促したいと目論んだ。
例えば、高学年の男の子たちがいつものようにサッカーを行なっているさまを、歩道からおじいちゃんが見守っている。パブリック・キッチンでは、高学年の女の子が、年下の男の子のために、あらかじめシンクで冷やしてあったスイカを切って、食べさせてあげようとしている。すると、それを見た通りすがりのおばあさんがリンゴをおすそ分けしてくれたので、お茶やジュースと一緒に、また冷やすことにした。お腹の弱い男の子は、その横で水飲み場から常温の水を飲んでいる。高学年の女の子はサッカー少年と同級生なので、彼らのためにスイカを多めに切ることにしたら、ベンチに腰を下ろしていたリンゴのおばあさんも、少し休憩してから帰ろうかと、道草をすることにした。
……というように、このパブリック・キッチンを起点に、多様なアクティビティが連鎖して、用もなく通りすがった人でも、気軽に公園へ立ち寄るきっかけが生まれるかもしれない。
C公園がパブリック・キッチンになったら
C公園には水飲み場が2カ所あり、自然と役割分担がされている。ひとつは、遊具の近くにあり、夢中で遊んでいた子どもたちが帰宅前に泥を落としたり、散歩に来た犬の水飲みの場になっている。もうひとつは、大きな桜の近くにあり、葉桜の時期であっても、レジャーシートを敷いて宴会が行なわれたり、ママ友が子どもたちを自由に走らせながらピクニックをしているので、持ち寄った惣菜が入っているタッパーをゆすいだり、子どもが水を飲む姿が頻繁に見られる。
そこで、C公園のパブリック・キッチンは、いままでは持ち寄っていた惣菜を、その場で調理をしたできたての惣菜にすべく、炭と鍋を持参すれば、火を使うことができるよう、竃を設けた。竃は、火を使う以外にも、ボウルを上部の穴に置いて炭の代わりに保冷剤を置けば、簡易の保冷場としても使えるよう、寸法に配慮した。
より大人数での利用が想定されるので、水飲み場と高さを揃えた台を設置し、テーブルとしても使えるようにし、地面よりも掘り下げた高さへのアクセスとしてスロープをつくった。
具体的なシーンを見てみよう。
満開の桜の下には、宴会をしている家族とその親戚がいる。彼らは、花見を楽しみながら、じつは、次にパブリック・キッチンを使うために場所取りをして待機をしている。周りには、遠くの遊具で遊ぶわが子をコーヒー片手に見守るお母さんと、犬の散歩をする若いお兄さんがいる。パブリック・キッチンでは、母と子の2家族が合同で、花見の準備をしている。ひとりの男の子が野菜を洗って、お母さんがサラダにして盛り付けをし、もうひとりの男の子はさっきまで火を起こしていたので水を飲んで休憩し、お母さんは、調理した惣菜の盛り付けをしている。そういう、なにげないけれどじつに豊かな風景を見るのを楽しみに、公園を訪れる人がまた増えるのかもしれない。
パブリック・キッチンを発見する
現代を生きる私たちは、外での豊かな過ごし方を、よく知らないだけなのではないか。遠くのキャンプ場まで行かなくても、気兼ねなく使うことができるパブリック・キッチンが家の近所の公園にあったら、パブリック・キッチンをよりうまく活用する方法を通じて、もっと外部空間を楽しむ方法さえも、日常的に見つけられるのかもしれない。
前回、今回と原稿を書いてみて、パブリックな質をもっていながら、見過ごされている場所、活用しきれていない場所がじつに多いことを、改めて感じている。だれのためのパブリックなのだっけ?と思う場所が、本当にたくさんある。
パブリック・キッチンという定義が曖昧な、言い換えれば、自分たちで自由に定義を生み出していくことができる場所を、既存環境を注意深く読みながら既成概念にとらわれずに発想することで、まだまだたくさん発見できるのではないか。そして、調理する−食べるというだれもが行なう根源的なアクティビティだからこそ、自分以外の他者と共有しやすいのではないだろうか。つまりだれにでも、パブリック・キッチンと、そこから派生するより豊かな風景を発見するチャンスがあるのではないかと思う。
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公開日:2019年05月29日