パブリック・トイレ×パブリックキッチンを創造する 3
作品づくりとネットワークを連動する「工作的建築」──未来のパブリック空間を模索する
馬場正尊(建築家、Open A)| 聞き手:浅子佳英(建築家、タカバンスタジオ)
小さくてもメディアを続けること
浅子佳英
本日は建築家の馬場正尊さんにお話を伺います。よろしくお願いします。きょうの会場《社食堂》は、民間のスペースである設計事務(サポーズデザインオフィス、谷尻誠+吉田愛主宰)と、半パブリックなスペースである食堂が交差するとてもおもしろい場所です。しかし、そもそもパブリック・スペースとはなんなのか、そして今後どのようなパブリック・スペースが求められ、どのようにしてつくられていくべきなのかという話まで最後には辿り着ければと思っています。
その前に、まずは本というメディアの話から始めたいと思います。というのも、馬場さんはつねに新しいコンセプトを本というかたちで社会に投げかけ、それが社会的関心事になるとまた次のボールを投げる、そういう活動をされている方ではないかと思っているからです。 例えば2003年に『R the Transformers──都市をリサイクル』(R-book制作委員会)を出されていますが、この本には、ホルヘ・パルドというアーティストが自分の手で一軒家をリノベーションし、それを一般的な不動産ではなくオークションで売るという、一種の芸術活動が取り上げられています。非常に実験的な内容も含まれおり、当時はリノベーションという言葉自体がいわば新しい概念でもあったことがよくわかります。しかし、現在ではリノベーションは社会に広く普及して一般化しました。 すると今度は2013年に『RePUBLIC──公共空間のリノベーション』(学芸出版社)を出されました。「公共空間」は以前から社会に普及していた言葉だとは思いますが、ここでは現代における「パブリック」を新たな概念として捉え探求していこうとする姿勢があります。
さて、馬場さんは以上のような本を上梓され、また過去には雑誌『A』の編集長を務めるなど、メディアをつくる活動もされています。まずはそういったメディアへのご関心についてお聞かせください。
馬場正尊
本日はよろしくお願いします。僕は早稲田大学の石山修武研究室に所属していました。石山さんはゴリゴリの作家性を追求する建築家ですが、アメリカから直接木材を輸入して家を建てるシステムである「DAM・DAN方式」を構築し、後の住宅メーカーの仕事を先取りして実践されている前衛的な建築家でもありました。専門的に建築を勉強し始めたときに石山研に入って、たんに建築設計をすることだけを考えなくてもいいという意識を目の当たりにしたのです。そして石山さんは本も多く書かれており、それを横で見ていて本を書くことの大きな意義を感じていました。そのような背景があり、大学院生のときには同人誌をつくりました。それが『A』だったのです。『A』はサブカルチャーや建築、都市論が交差するメディアでしたが、同時代に東京大学では、五十嵐太郎さんや南泰裕さんたちが建築の正統派アカデミズム同人誌『エディフィカーレ』をつくられていて、交流もありましたね。
浅子
『A』は同人誌から始まったのですね。馬場さんはその後広告代理店に勤めておられましたが、『A』はその後どうように引き継がれていったのでしょうか。
馬場
大学院を卒業した後は広告代理店に就職しましたが、大手の企業では個人がメディアをつくって発信することがなかなかできない。それで逆にどんなに小さくてもメディアをつくる意義を感じてしまって、早朝に会社のコピー機をジャックして細々と『A』をつくり続けていました。その後大学院に復学し、20代後半のときにある編集者と出会って、この同人誌をメジャーな雑誌としてデビューさせてくださいと企画を書いたところ、『A』は出版社からの発行に至ったのです。
本は社会に現象を起こす企画書である
浅子
その後も『A』をつくり続けていくなかで、「リノベーション」とはどのように出会ったのでしょうか、そしてなぜその後「リノベーション」が流行したと分析されていますか?
馬場
『A』をつくっていた当時、人口減少化が進むなかで新築ビルの供給過多によって空室率が増加する「2003年問題」に直面しました。そのときに、この空いた建物の再生にはなにか可能性があるんじゃないかと考えていました。それこそ『A』をつくるように、言葉によって社会を動かせると思い、「リノベーション」を言葉としてしっかり定義しようとして書いたのが『R the Transformers』です。
浅子
なるほど、かなり意識的に「リノベーション」を仕掛けたのですね。
馬場
振り返ってみるとそうかもしれない。社会で戦っていこうとするとき、使いやすい言葉を流通させることはひとつの武器となります。わかりやすいけど謎めいているような言葉。この方法は雑誌をつくっていくなかで学びました。
浅子
メディアで「リノベーション」を仕掛けたのはとてもうまい戦略だったと思います。ただ、すぐに仕事につながったわけではないですよね。
馬場
まずは自分でできる建築のデザインを実践して、そこから仕事を始めてみるのもおもしろいかもしれないと考え、自分のオフィスとなる物件を探すことから始めました。そして日本橋の裏通りに、1階が駐車場、2階が食品倉庫として使われていた家賃10万円の小さな建物を見つけました。その物件を白く塗って、自らをリノベーションの実験台にしたんです。リノベーションがまだ一般的ではなかった2003年に『R the Transformers』を出していたこともあって、社会からはリノベーションに詳しい人だと多少の誤解も含んだ認識をされ、まだなにも実践していないのに仕事の依頼がくるようになったのです。
浅子
では割とすぐ実際に仕事がきたんですね。
馬場
はい。そういう効果作用があるのがメディアですね。ですから、僕にとって書籍『R the Transformers』は企画書です。こういう空間をつくろうよと社会に投げかけて、それに共感する人が仕事の依頼をくれる。いまでもそのやり方は変わっておらず、社会に新しい現象を起こすために本を出す。本は社会に現象を起こすための企画書なのです。
考現学的メディアに経済が加わってできた「東京R不動産」
浅子
駐車場と倉庫だった建物をオフィスにリノベーションするとなると、大家さんからは不審に思われますよね。いまでこそリノベーションは一般的になりましたが、当時は苦労されたと思います。物件を探すにしても、いわゆるオフィスではなく、『R the Transformers』でも取り上げられているようなおもしろい物件を探すとなると、いわゆる不動産のネットワークからは出てこない。だったらいっそのこと自分で不動産屋をやろうと考えて「東京R不動産」を始めたということでしょうか。
馬場
不動産屋で物件を探しているときに、「この物件を改装したい」と言うと間違いなくうさんくさがられるんですね。みんな門前払いで、僕が問い合わせるような空き物件は不動産屋にとってはメリットがなかったのでしょう。でもそういった都市の計画性や経済性からこぼれ落ちた物件でこそなにかおもしろい現象を起こせるのではないかと思い、最初に自分で空き物件を紹介するブログを書き始めたのです。『A』はDTP(デスクトップ・パブリッシング)で制作していましたが、その後さらにブログやウェブサイトなど、個人が情報を簡単に発信できるツールが台頭してきました。そういう意味では、当初空き物件ブログは不動産流通サイトではなく、空き物件という都市のヴォイドを発見して楽しむメディアだったのですが、やがてそうした物件を借りたいと問い合わせがくるようになったのです。
浅子
そのような空き物件にも世の中の需要が生まれはじめたのですね。空き物件ブログは新しいメディアであったと同時に不動産仲介のサイトにもなっていた。このことはブログを始めた後に気づいたのでしょうか?
馬場
ブログを始めた当初は考現学的な探究心でやっていたので、まさか不動産仲介につながるとは思っていませんでしたね。後に不動産仲介をやっていた吉里裕也を含めた5人のメンバーで共同運営することになり、ひとり10万円ずつ出し合ってウェブサイトを立ち上げ、物件を仲介するシステムを構築しました。それが「東京R不動産」です。「東京R不動産」は『A』でもやっていたような空き物件や都市のヴォイドを観察する考現学的スタイルに、不動産流通という経済的なエンジンが加わり、「メディア×流通」のスタイルになったのです。経済の要素が介入しても「東京R不動産」はメディアとしてのおもしろさや批評性をどこかにもったウェブサイトです。
浅子
そもそもふつうの不動産サイトとは成り立ちからしてまったく違うんですね。
「東京R不動産」の分散型メディアシステム
浅子
馬場さんはリノベーションを中心とした設計事務所Open Aを主宰されています。「東京R不動産」とOpen Aはやはり不可分ですよね。
馬場
Open Aの事務所を探した経緯が「東京R不動産」を立ち上げるきっかけになったので、例えばOpen Aで設計した集合住宅の客付けを「東京R不動産」で行なったり、逆に「東京R不動産」に相談にきたディベロッパーや投資家と新しいプロジェクトをつくったりする関係ですね。
浅子
馬場さんは現在も代表として「東京R不動産」に関わっていらっしゃるのでしょうか。
馬場
「東京R不動産」は集団で運営している感じです。『A』の編集長をやっていたときは、あらゆる情報が僕に集まってきて、僕の判断で発信されていく体制でした。でもそれではトップである僕がおもしろくなくなったときに、メディアもおもしろくなくなってしまう。そういう一極集中型のシステムに限界を感じたのです。その反省から現在20人ほどいる「東京R不動産」のメンバーはみんな個人事業主として活動しています。おもしろい物件を自分で探してきて、プラットフォームである「東京R不動産」のシステムにログインして自分で文章を書いて発信し、その物件に関する問い合わせは本人にくる。要するに僕を介さずに運営できる分散型のメディアに変えたのです。
浅子
利益は文章を書いた人のものになるのでしょうか。
馬場
全体の利益のいくらかは「東京R不動産」に吸収され、残りは個人の利益となるシステムです。多くの物件が売れれば個人の利益アップに直接つながるのですが、たくさん稼いでいる人も尊敬される一方で、すごくおもしろい物件を見つけておもしろい文章を書いている人も尊敬されるという、自然と2つの評価軸が生まれました。
浅子
そもそもシステムのなかに経済的な軸と社会的な軸があるというのは珍しいですね。
馬場
その2つの軸が同調してくるのが一番おもしろいんですけどね。そしてトップの人間が大きなクオリティ・コントロールだけして、後はメンバーがおのおの発信していく分散型メディアは、自己増殖を起こしやすくなります。紙媒体だとどうしても完結型のメディアになってしまいますが、個人が自由に発信でき、情報がネットワークで広がっていくことはウェブメディアの強みです。このようになにか自己増殖するメディアをつくってみたいとも思っていました。
浅子
なるほど。『A』では全部自分でコントロールできたからこそ、個々が勝手に違うものをつくってくれる状態を望んでいたのですね。
馬場
そうですね。そしてリノベーションの概念も自己増殖してほしいと思っています。「Open A」は「オープン・アーキテクチャ」を指し、「建築を開く」と同時に、コンピュータの分野では、開発した仕様を一般に公開して誰でもその仕様に準じた製品をつくれるようにすることを意味します。つまり建築家にしかつくれない作品をつくるのではなく、リノベーションをオープンソース化して誰もが使える手法にすることを目的としているのです。
浅子
先ほど石山修武さんについてすごく作家性の強い建築家であるとおっしゃいましたが、一方で石山さんは住民が自分たちの手で住宅をつくるためにあらゆる技術を編成する「オープン・テクノロジー」のシステムを提唱しておられます。リノベーションをオープンソース化するという話は非常に石山研的であると思いました。
ゆるやかな資本関係で結ばれる組織
浅子
ここ十数年で、大きな社会、大きなシステムではなく、小さな社会、小さなシステムを構築するべきだという動きがでてきていますよね。「東京R不動産」はメンバー全員が個人事業主ということですが、社会あるいは会社が個を管理する近代的なスキームからの脱却を体現していると感じました。しかし個人が会社に所属するのではなく、一人ひとりが起業家の意識をもってスキルを磨いてやっていくという考え方が正義になってしまうことには僕自身は懸念があります。というのも、個人への負担があまりにも大きく、自己責任の議論と結びつけば、大きなプラットフォームの独占を見えなくしてしまう。そうでなくとも、ブラック企業のやりがい搾取とほとんど紙一重の議論ですよね。そもそも、レジ打ちしているアルバイトに起業家になれというのも無理がある。
馬場
それはそうですね。ですから個人がひとつの組織に留まるのではなく、活動する場所を広げてより楽に生きていくシステムを用意してもいいんじゃないかというのが僕の考えです。つねに多様なルートから社会にコミットすることに可能性を感じているので、会社は実験的な場であるのが好ましいと思います。メンバーにはゆるいプラットフォームとして「東京R不動産」を使ってもらっていて、その結果、各地方都市の「R不動産」ができたり、リノベーションのためのウェブショップ「toolbox」ができたりと、たくさんのユニットが派生し、それぞれが協働するネットワークも生まれました。個々が自立性を保ちながら、ゆるやかな資本関係で結ばれている状態が理想です。このような、独立することと組織のなかで動くことの中間を目指しています。
浅子
よくわかります。僕も似たような考えをもっていて、自分の事務所を自分の目が行き届く範囲以上には大きくしたくはない。しかし大きな仕事はしたいと思っています。両立は難しいのですが、僕が考えたのは、大きい仕事をするときに誰かと組むスタイルです。最初に建築家の吉村靖孝さんと一緒に2つのコンペに参加し、ひとつは最終選考に残りました。また公共建築である《八戸市新美術館》は建築家の西澤徹夫さんと共同で取り組んでいます。それぞれの組織が小さくても、そのつど共同で取り組めば大きい仕事もできる社会になりつつある。
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公開日:2019年02月27日