パブリック・トイレ×パブリック・キッチンを創造する 1
閾、個室、水まわり──そして未来のコミュニティへ
山本理顕(建築家、山本理顕設計工場)| 聞き手:浅子佳英(建築家、タカバンスタジオ)
コミュニティに対して住宅を開くということ
浅子
山本さんは以前からずっと集合住宅について議論されていて、その主張も一貫しています。通常の集合住宅ではプライバシーを守ることを重視し、鉄扉や界壁によって住戸をどんどん分断する方向に進んでいきました。その結果、とても閉じたビルディングタイプを生むことになりました。さらにそこで育った子どもたちが社会に出ていくことで、自ずと彼らの住まいも閉じたものになる。そのような悪循環があることを山本さんは指摘されています。
この問題の先にタワーマンションの問題があると思います。タワーマンションも隣人とまったく顔を合わせなくて済むような設計がなされていて、エレベーターが自分の階のボタンしか押せない仕様だったり、カードキーの管理によって入ることができるエリアが限定されていたりします。このような住宅がどんどんつくられ続けている現状のなかで、これからどのような集住の仕方がありうるでしょうか。
山本
『脱住宅』では地域社会圏の実践例として、地下1階、地上3階建てで5つのSOHO住戸、食堂、シェアオフィスからなる仲俊治+宇野悠里さんの《食堂付きアパート》(2014)を紹介しています[編註:仲俊治氏には「対談 6|施設から住まいへ──半パブリック空間のトイレ考」において、「小さな経済」を生み出すための試みとして《食堂付きアパート》を紹介いただきましたので参照ください]。《東雲キャナルコート1街区》は14階建てですが、エレベーターが止まったときには階段で降りるのがかなりしんどいです。タワーマンションの場合、地震でエレベーターが止まったりしたら高齢者に限らず住人にとっては相当大変なことになりますよ。今後、集合住宅をどうつくるかというときに、最高高さをどの程度にするのが適当なのか考える必要があると思います。
浅子
集まって住む場合、歩いて昇降できる5?6階くらいが限界だということでしょうか。
山本
それくらいじゃないでしょうか。住宅には接地性が重要だと思います。200mの高層だと外にテラスはつくれないし、洗濯物も干せませんからね。
浅子
タワーマンションはそもそもビルディングタイプとして無理があるということですね。接地性のある建物でも一般の住宅ではトイレやキッチンを実際に外に開くことは難しいと思いますが、それについてはどのようにお考えでしょうか。
山本
《食堂付きアパート》の場合は1階に食堂が設けられており、キッチンを開いた事例のひとつだと考えています。重要なのは「住宅を開く」といったときに「どこに対してなにを開くのか」ということです。つまり公共的であるという意味は、それ自身が自ずからのコミュニティをつくりだすように働かなければいけないということです。それならそのつくられたコミュニティに対して開くことは極めて容易ですよね。
浅子
「開く」とはそもそもどういうことなのでしょう。
山本
コミュニティのメンバーに対して開くのか、それよりももっと外側の不特定多数の人々を想定して開くのかという話ですね。古代ギリシャでもパブリックとされている場所は都市(ポリス)の中だけです。だからポリスの内側は一種のコミュニティスペースだったといえます。
浅子
そもそもポリスは無限に外に開かれた場所ではなかった。つまりコミュニティに対してのみ開かれていたということですね。
山本
ポリスよりも外側にある「完全な外部」に向かって開くことは矛盾した考え方だったと思います。
浅子
山本さんの論考のなかに、「家族という思想」(『住宅特集』1993年1月号、新建築社)というテキストがあります。《熊本県営保田窪第一団地》(1991)が完成した際に重村力さんと多木浩二さんから投げかけられたまったく違う2つの批判に同時に応じるというアクロバットな内容です。重村さんによる批判は、《熊本県営保田窪第一団地》のコモンスペースには住民しか入れず、完全に外に開いたような場所にはなっていないというものであり、多木さんの批判は、そもそも集まって住むこと自体が幻想なのではないかというものでした。この真逆の関係にある2つの批判を、山本さんが再批判するという展開です。
先ほどの僕と山本さんのやりとりは、この「家族という思想」とほぼ同じ構図だなと思い出しました。僕が「トイレやキッチンを外に開く」と軽々しく言ったことに対して山本さんがコミュニティの外側に対して開くことは難しいとおっしゃられたのは、重村さんによる《熊本県営保田窪第一団地》批判に対する山本さんの再批判を踏まえれば頷けます。
とはいえ完全に閉じて開かれた場所がない住宅になってしまうと、タワーマンションと同じことになってしまう。多木さんは《熊本県営保田窪第一団地》批判のなかで坂本一成さんの《コモンシティ星田》(1992)を高く評価し、「コモンスペースを取り除いたことは集合住宅として画期的なことである」とおっしゃっています。それは現代社会に対する認識としては正しいかもしれませんが、現在この部分だけを見ると多木さんがタワーマンションのあり方を肯定しているようにも見え、やや危うい議論だなと思います。
ともかく、個人的に興味深かったのは、両者はいわば正反対のことを言っているのだから、そもそも両立させることは難しい。だから、片方を批判し片方の議論に寄り添えば楽になるものの、山本さんは双方を批判し、さらに《熊本県営保田窪第一団地》のコモンスペースはなんらかの機能を落とし込むことがまだできていないと、自身にまで批判の目を向けていたことです。
山本
そうしたことへの僕なりの解答が「地域社会圏」なのです。設計を通じていろいろなことを考えましたが、家に住みながら経済活動に参加できるような住宅の開き方ができればいいだろうという筋道を見つけたのです。
これからの街のブランド性
浅子
最後にお聞きしたかったのが、山本さんの消費空間に対する態度です。山本さんは基本的には商品化住宅や消費社会そのものを批判的対象と位置づけていらっしゃるように見えますが、これまでの話からもわかるように、住宅の中にお店をつくることには肯定的です。僕自身は消費空間それ自体は必ずしも悪ではないという立場なのですが、山本さんのなかでは批判と肯定の境界はどのようにつくられるのでしょうか。
山本
『権力の空間/空間の権力』でも書きましたが、消費しかしない家族専用住宅が初めて登場したのは近代以降のことです。中世都市では住宅の中で生産もしたし、物と金銭の交換も行なっていた。それが産業革命以降、賃労働者が登場したことで、その労働者住宅は外に開く必要のない、閉じた住宅をつくるようになったわけです。いま、住宅はたんに消費するだけの場でしかありません。ですから、一言で「消費空間」と言っても、産業革命以前と現代社会とではそのかたちはまったく異なります。
浅子
なるほど、現代の商品化住宅については、著書のなかで使用期間が二十数年ほどしかないということも書かれていますね。
山本
ええ。子どもが20?30歳になって自立して、その頃に親は40歳?70歳くらいになっていますよね。子どもと暮らした住宅それ自体がもう不要になるにもかかわらず、近代国家は同じような空間を供給し続けた。いまやそれを壊すこともできず、巨大な粗大ゴミのようになって増え続けています。そのような状況のもと、住宅の中で消費生活だけをしていくような住み方は、どう見たって不健全だし無理だと思う。
浅子
それはわかります。人口が増加していた時代には浮上しなかった問題が、人口減少にともなって一気に肌身で実感できるようになってきましたね。
山本
人口減少もそうですが、正規雇用人口が減っていることも大きな原因のひとつです。非正規雇用者が全体の4割弱という状況では、住宅も買えないし子どもをつくるのも難しい。
浅子
現状を考えるとなかなか苦しいお話ですが、ではどうすればいいのでしょうか。
山本
国家による社会保障制度はすでに破綻しています。自分たちでなんとかするしかないと思うのですが、そのためにはコミュニティが重要です。それは建築のつくり方と深く関係するだろうと僕は思っています。
江戸時代には間口が1.8mほどの小さな町家がたくさん建ち並んでいて、いろいろな商売を発明していたのです。パリにも300種類もの商売があったと言われています。みんな家業を継いだりしてやりくりしていた。僕の家の前には、小さい頃からずっとやっている豆腐屋があるのですが、いまでも朝の3時頃に起きて仕込みを始めています。隣のコンビニでも豆腐を売っているんだけれども、豆腐屋のほうが比較にならないほどおいしい。だからいまだにお客さんがたくさんきています。
そのような小さな店が開ける都市をつくることを考えたいと思っています。どこにでもあるチェーン店ではない、その街ならではの店がたくさんある空間がつくれたらよいと思います。
浅子
僕個人の感覚だと、高齢者になったらそういう場所に住めるようになるかもしれません。たくさんの消費財を所有する必要もなくなっていくでしょうから。
他方、山本さんはブランドについても少し書かれています。そこにしかない食べものや製品をブランドにすれば、外からも足を運びたくなる街になるだろうと。
山本
例えばイタリアのアッシジの人工台地には聖フランチェスコ(1182-1226)を祀った聖フランチェスコ教会があり、フランチェスコの聖像というときの聖像は英語ではアイドルです。年に数回の祭りを行なうことで、たくさんの参拝者が訪れました。同時に周辺の商店が繁盛するようにしたのです。そうしたことはほかの街でもやっていました。どこにたくさんの旅人や参拝者が集まるかを町と町で勝負していくうちに、ワインや靴などのブランドが生まれていきました。例えばサルヴァドーレ・フェラガモはもともと20世紀の初めにイタリア南部の小さな街の自宅で開業した靴屋ですが、やがて世界企業に成長しました。そのように、街自体がブランド力をつけていくことができればということは十分に可能性があるという意味で、ブランドについて書きました。
浅子
山本さんがかつてイタリアの街の話を紹介されたときに興味深かったのが、「街がテーマパークのようだ」と形容されていたことです。勝手な印象でたいへん恐縮なのですが、山本さんは「テーマパークはダメだ」とおっしゃりそうな気がしていたので、これは少し意外でした。
山本
中世の頃からテーマパークをつくってお客さんたちを集めようという活動はあったと書きました。あくまでも中世都市の話であり、現代の金儲けだけが目的化したテーマパークやカジノとは違います。中世都市の場合は街全体が潤うような活動だったけれども、現代のテーマパークの場合は街全体や周辺の人たちはなんの得もしていませんからね、そこはぜんぜん違う。
浅子
閉じた環境をつくるのではなく、街全体にテーマパーク性をもたせることが重要だということですね。
山本
そういうものであれば頑張ってつくることは必要ではないかと思います。
未来の共同体の自由と平等
浅子
では、アイコン建築をつくることについては、どのような意見をおもちですか。
山本
浅子さんのおっしゃるアイコン建築が地域共同体のためのシンボリックな建築を意味しているのであれば、僕はそれをずっと意識してつくってきたつもりです。《横須賀美術館》(2007)や《福生市役所》(2008)など、街全体との関係性や住民参加の仕組みをセットにして「シンボルとしての建築」をつくることはつねに念頭にあります。
浅子
なるほど、山本さんの建築とアイコン建築は真逆な気がしていましたが、地域のシンボルとしての建築と捉えれば両者はつながりますね。ご自身以外の建築のなかで、そのような考えに近い事例はありますか。
山本
建築家自身のブランド力でそれをつくろうとする人はいます。たとえばザハ・ハディドのブランド力でその街自体を活性化させ、世界的な都市にしていこうとする自治体はあるでしょう。
浅子
そういう意味では、地域と結びついたシンボリックな形態であればザハ的なものでもありだということですね。
山本
僕はこれからもザハみたいな建築はつくらないけれど、地域の人々が自分たちのシンボルだと思ってそれを承認してくれるようなものであればよいでしょうね。
浅子
フランク・ゲーリーの《ビルバオ・グッゲンハイム美術館》(1997)はどうですか?
山本
美術館側が相当のお金を出してつくることで、実際に都市を蘇らせた事例です。地域社会の人たちがグローバルな資本と組むのはひとつの方法としてありなのかもしれませんが、そのグローバル資本がこけたら地域社会もこけてしまうと思う。僕としては《ビルバオ・グッゲンハイム美術館》的なやり方ではなく、やはり地域と密接につながるシンボルをつくるやり方のほうが好ましいと考えています。
浅子
グローバル資本ではなく、地域資源をシンボルに変換するかたちがよいという感覚からすると、近年の建築家の作品で評価できるものは少ないですよね。ところで、山本さんの建築は住宅に限らず、シンボリックな部分にはテクノロジカルな建築表現が出てくるのが特徴のひとつとも言えます。
山本
そうかもしれません。僕は、現在の技術的水準と周辺環境との関係を合わせて考えることで建築の形態を決めています。最近の《横浜市立子安小学校》(2018)はほとんどPCでつくっていますし、これまでも現代の高度な技術的成果に助けられてつくっています。
浅子
山本さんは初期の文章で、平面図から立面は出てこないとおっしゃられています。平面図は概念的だということですね。一方、立面はシンボルと結びついていて、山本さんの建築の場合、「屋根」がしばしばシンボルを担う要素として扱われています。平面図における概念と、立面におけるシンボリックな形の表現とのあいだには、どのような関連があるのでしょうか。
山本
平面図だけで考え続けていると形にジャンプするのが難しいのです。とくに近代建築は、主として平面図によって建築を説明できるという考え方が支配的で、建築家たちもそのように訓練されてきました。だから平面図では、そこから先の立面の展開や全体の形にまではたどりつけないのだと書きました。この感覚は僕を含むある世代の特徴といえるのかもしれません。建築を内部からばかり考える傾向が長いあいだ続いたのもそのためでしょう。内部は美しくても、外観がないような建築です。
浅子
なるほど。その結果、平面図からは出てこないシンボリックな形として屋根が浮上してきたということですね。
山本
そうですね。そこからしだいにその場所の特性や周辺環境との関係を意識して外側の形の問題を考えるようになっていきました。現在進めているチューリッヒの《The Circle _ チューリッヒ国際空港》(2020年竣工予定)もそうです。
浅子
GA galleryで模型を拝見しましたが、相当巨大な建築ですよね。
山本
27万平米あり、ひとつの街をつくるようなプロジェクトだということは施主とも共有しています。
浅子
最後にここまでお話を伺ってきた感想になりますが、山本さんの取り組みには大きく2つの希望があると思いました。
ひとつは、建築家の仕事がほかの多くの職種と違い、現在でもあくまで建築は一品生産であり、プロダクトのように大量生産を前提とはしていないということです。『権力の空間/空間の権力』ではこのことについて、ハンナ・アレントの思想を引いて、建築をつくることは「労働(labor)」ではなく「仕事(work)」であり、産業革命以降の「社会」によって分断されない「世界」をつくることだと言われています。これは現在の建築家にとっては希望の言葉になるはずです。その意味でも多くの若い建築家に『権力の空間/空間の権力』をポジティブに読むことを薦めたい。
もうひとつは、じつは山本さんが「自由」に重きを置いてきた建築家でもあるということです。近代以降、戸建住宅や集合住宅の設計はずっと人々を「平等」に扱うことを重要視してきました。しかしこれは、均質な労働力の確保や性による役割分担の固定化とセットになった考え方でもある。それに対して山本さんは「平等」だけでなく「自由」を重視していらっしゃるんだなと、きょうのお話をお聞きして感じました。山本さんの取り組みを「自由」という観点から捉えなおすことは、これからの建築を考えるうえでとても重要なのではないかと思います。
山本
ありがとうございます。僕は、自由と平等とを同時に実現するにはどうしたらよいかということを考えてきたつもりです。グローバルな経済社会のなかでは自由ではあってもまったくの不平等です。自由と平等を成立させるのは難しいけれど、ひとつの共同体のなかでなら、それは可能なのではないか。そのような共同体をいかにしてつくるかということを考え、建築を通して実践していきたいですね。
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公開日:2018年08月31日