「建築とまちのぐるぐる資本論」取材12

ままならない環境と人間──スラムと茅葺きから考える

岡部明子(聞き手:連勇太朗)

東京大学で建築・まちづくりを教える岡部明子さんは、インドネシア・ジャカルタのスラムをはじめ、世界各地のインフォーマルな居住地域に専門家として介入する一方で、房総半島南端の千葉県館山市塩見という集落の古民家「ゴンジロウ」と、東京の自宅との二地域居住を10年以上続けている。ゴンジロウを訪ね、その具体的な関わりを伺い、さらに地球環境や人間を含む大きな意味での循環や、フォーマリティとインフォーマリティをめぐって議論した。

Fig.1:古民家「ゴンジロウ」。左に茅葺きの主屋、右にハナレ。

コントロール可能な時間・空間スケールを超えた研究と実践

連勇太朗(以下、連):

岡部先生の研究や活動のことは以前から存じ上げていましたが、お会いするのは初めてで、とても楽しみにしていました。最初に、研究者としての関心やそのきっかけなどから教えてください。

岡部明子(以下、岡部)

私は東京大学の槇文彦研究室の出身ですが、元々、建築学以外の分野、例えば地理学などに関心をもっていました。
1985年から10年間、スペインのバルセロナに住み、日本と行き来をしていました。スペインは、1975年にフランコ政権が終焉を迎え、かつての反体制派や共和派が政権に参加したのが1982年ですから、私が見ていたのはまさに国が民主化し、都市が大きく変わっていく時期でした。私は当時、ほこりをかぶったような都市に前衛的なデザインの公共空間ができてくるのに目を奪われました。バルセロナの都市再生においては、歴史的な市街地に局所的に介入し、そこからの波及効果によって都市全体を変えていく「部分から全体へ」の戦略が採用されていました(★1)。その背景には、フランコ時代に遡る公共空間を求める市民の社会運動がありました。空間を政治的に考えるのが建築家である、つまり建築家とは政治家であるということがよくわかりました。都市空間のデザインは市民の活動や政治の物象化であることに、より関心をもつようになりました。
1990年代は、こうした草の根の市民運動が、EUレベルの政治的動きと結びつくダイナミズムの時代でした。背景には地球環境問題への関心の高まりがありました。帰国後は、EUレベルの都市環境政策を調べることに没頭し、『サステイナブルシティ──EUの地域・環境戦略』(学芸出版社、2003年)という本を書き、それが研究テーマになり、博士論文も書きました。
一般的に、研究者は人間にコントロール可能な時間・空間スケールを対象にしますが、その埒外、つまりスーパーマクロとスーパーミクロの両睨みで研究・実践を行うようになりました。直感的に把握できないような超長期の地球規模の人口動態などの事象をマッピングによって空間的に可視化する試みの一方で、行政の網の目からこぼれ落ちるようなフィールドに入り込む実践活動をしてきました。

連:

なるほど。バルセロナで目撃した草の根的かつ具体的なアクションと、ヨーロッパのマクロな都市政策を同時に見てきたことが、スーパーマクロとスーパーミクロから考えるという研究のアプローチにつながっているのですね。

岡部:

そうです。帰国して以降、現代の地球環境問題に対して都市がどうあるべきかと改めて自問し、関心の中心がヨーロッパから途上国に移っていきました。なぜなら、人口が急増している国々のこれからを担う人たちの生活や、彼らの展望によって地球の未来も変わるからです。スーパーマクロに見れば、地球環境問題のツボは途上国、特に人口の集中する東南アジアやインドの都市スラムだと思うようになりました。
ヨーロッパで疲弊した地区を再生した優れた事例では、自治体の担当者がそこに移り住んだり、事務所を構えたりして行動を起こしていきます。縦割り行政で、福祉・教育・環境整備・住宅・雇用などバラバラに動くのではなく、住んでいる人たちとともに統合的なアクションを起こさなければエリアは改善されないことを学びました。
スラムの問題も同様です。強制立退きをさせて、再定住地をいくら理想的に計画してもうまくいきません。スラムに今住んでいる人たちが日々より良い生活をしようと行動していることの延長線上に改善があるのであり、それを引き出すミクロだけれど統合的な介入が求められていると思いました。

ゴンジロウとの偶然の出会いから

連:

グローバルに研究をされてきたが岡部先生が、千葉県館山の古民家「ゴンジロウ」に出会ったのはどういった経緯だったのでしょうか。

岡部:

一言で言えば偶然です。館山市と関わるきっかけは、2007年館山自動車道が全線開通にあたりNEXCO東日本が地域懇談会を設け、当時勤めていた千葉大学からのメンバーとして参加したことでした。
その後、千葉大学の学生たちと中心市街地の旅館に宿泊しながら、商店街の建物を改修したりもしました。そういった関係のなかで、館山市で複数の旅館などを経営している方と知り合いました。彼の原点となった民宿がゴンジロウと同じ集落の塩見にあるのです。彼の案内で初めてこの塩見を散歩しているときでした。私が興味を示すと、すぐに内部を見せてくれました。持ち主はお向かいの方でしたが、うまく話をつけてくれたのです。近くの御獄神社から見ると、ゴンジロウの主屋の茅葺き屋根が見えますが、この塩見という集落にとってはゴンジロウが大事だと感じました。特に古民家が好きだったわけでもありませんし、地域再生プロジェクトの対象を探していたわけでもありませんでしたが、出会ってしまったからには放っておけなくなり、心が動いたのです。
サバティカルを取って、まずは半年間ひとりでゴンジロウに住んでみました。当初、近所の人からはかなり警戒されましたし、引っ越して初日に部屋で迎えてくれたのは死んだ鳥二羽だったりと結構過酷でした(笑)。一方で、誰かが占有してその人の住まいになる、よそ者の所有になってしまうのは違うなとも思いました。ゴンジロウは屋号であり、家主のニックネーム的でもあり、家、土地、ご先祖さまや家主なども差します。この土地を介してつながっているモノ・ヒト・コトの関係性の束であることが徐々にわかってきました。
人口が減少するなかで、日本各地で様々な課題があり、地域再生が行われていますが、かゆいところに手が届かないもどかしさがあります。ヨーロッパから学んだように、大きなフレームからブレークダウンして問題を解決していく方法ではうまくいかない、そこに入り込まないと何も動かないというわけで、ゴンジロウで学生たちと一緒にとりあえず何かやってみようという感じでした。

Fig.2:通りから見る。庭の樹木の奥に茅葺きの主屋が見える。主屋の左手前には蔵が建っている。

連:

具体的な改修を含め、どういった建築的介入をされたのでしょうか。

岡部:

2010年頃から始めたのですが、まずは主屋の雨漏りを直すところからでした。予備知識もないままに、茅葺き職人を何とか捕まえて屋根の葺き替えに挑みました。今も継続的に茅など屋根に葺く材料を敷地内の蔵にストックして、1〜2年おきに主屋全体の5分の1〜6分の1を順繰りに葺き替えています。自分たちで刈れる茅はたかが知れており、それで辛うじて雨漏りしない屋根を維持しています。普通よりも薄く葺いているので、長くもっても7年ほどです。かつては、屋根はみんな茅葺きで、集落に30軒ほどあり、共有地の茅場もあって、毎年1〜2軒を葺き替えていたといいます。ちゃんと葺けば30年もたせることも可能ですから。ただ、今ではゴンジロウ1軒のみ。屋根の葺き替えが毎年の風物詩であり続けるには、部分的に、かつ薄く葺き替えていくという方法もありではないかと今になって思うようになりました。

連:

ハナレには現代的なキッチンがありますね。

岡部:

これも必要に迫られてのことでした。屋根の葺き替えなど、大勢が参加するワークショップをやると、食事の支度が大仕事です。
房総半島の民家は、炊き場(火を使う台所と風呂)が別棟になっているところが多いのですが、薪に代わってガスが導入されると、主屋を改修して台所をつくるようになり、炊き場は使われなくなっていきます。ゴンジロウの炊き場も、廃屋になって数十年経っていました。それが2013年に、大人数用の料理のためのキッチン「ハナレ」として蘇りました。薪炊きの竈を復活させるアイディアもありましたが、大量に料理できる機能性に徹した業務用キッチンにしました。
2014年には、ハナレに水洗トイレを増設しました。大勢が使うこと、外から来た人も使いやすいようにと考えてのことです。また、地元の高齢者が集まる場所ですから、畳の部屋に上がるのが大変なので、主屋の台所に改築されていた土間に戻しました。ここなら半屋外で椅子に座って長テーブルを囲めます。

Fig.3・4:主屋に設けられた土間。台所を解体し、天井を抜いて、かつての状態に戻されている。

Fig.5・6:「ハナレ」。元々は炊き場だったが廃屋になっていた。ブロック塀を挿入して、ガスオーブン付きコンロほか業務用キッチンを設置。

Fig.7:主屋の土間からハナレを見る。ハナレにはトイレも増設されている。

ままならない環境を生きる人間、ジェネレーターとしての建築

岡部:

屋根を葺き替えたりしてゴンジロウと付き合っていると、これまでもっていた自らの建築の常識が覆されていきました。かつて人々は、地域で手に入る材料を集めて、互いに助け合うことで環境をつくっていたわけです。現代では、どんな建築材料でもお金さえあれば調達できるという前提で建築をデザインするのが当たり前になっていますが、そもそも建築は手に届く材料に制約されてつくられるものだったのではないか。現代においてそういう建築がどう可能なのかに挑み、試行錯誤してきました。単にお金があってもできないことなのです。
人間はそもそも自分たちの環境を入手可能な資源を使ってより良くしようとする能力をもっています。人間が建築する原動力です。ここで言う資源とは、物理的な材料だけではなく、知識や技術、近所の人の労働力も含まれます。もちろんお金も資源ですが、様々な資源のひとつでしかありません。それらをうまく組み合わせて、より良い環境をつくることが建築です。地球上では、木、草、土、石などが手に入り、それぞれの土地で数世代かけて最適な組み合わせに落ち着いていきました。ヴァナキュラー建築です。こうして、日本の多くの地域を占める里山と呼ばれる環境では、茅葺きの屋根になりました。草葺きはローテクでできる屋根で、茅は日本のほとんどの土地で入手可能な草のなかで耐久性が高く屋根に適した材料でした。草は一般に腐って分解され堆肥になりますが、茅は腐りにくいため、一度屋根になって長い年月風雨にさらされてから堆肥にできます。このように建築は裏山や畑を含んだ環境の循環のなかに埋め込まれていて、切り離すことができないものです。
農学系や環境学系の観点から見ると里山における民家の存在は、人工物ゆえに軽視されているように思います。農の営みが里山の循環を回していると見られがちですが、裏山の木や竹を伐って使うとか、毎年茅を刈るとか、実は建築が里山のジェネレーターの役割を果たしているところも大きいと思います。
10年ほど前だったか海外で、建築が循環のジェネレーターになっているというようなプレゼンテーションをしたところ、とても反応が良くて驚いたことがありました。日本でも最近「リジェネラティブ」という概念がはやってきていますが、欧米はそうした議論が先行していたために感度が良かったのだと今になって思います。
人間が、自然生態系のジェネレーターとなる建築をつくることができる、というふうに理解されてしまったのかもしれませんが、それとは違うのです。人間は循環の外にいて、建築をつくることによって環境をコントロールできるような存在ではありません。生き物としての人間も茅と同様、よくわからない、ままならない自然環境の一部として埋め込まれています。人間は、そこから逃れられずにいながら、より良い環境をつくろうとちょっと手を加えているだけです。そうしてできた建築が、振り返れば遡行的にはジェネレーターの役割を果たしているのかもしれませんが、循環に巻き込まれている当の私たち人間には全体像は見えません。

Fig. 8:蔵には茅がストックされている。

連:

ままならない環境のなかで生きるひとりの人間でありながら、同時に建築やまちづくりの専門家という側面もありますね。このふたつは別々のものなのでしょうか。それとも何らかのかたちで統合されているのでしょうか。当然、専門性や専門家の定義にもよりますが……。

岡部:

私はふたつの異なる世界があるという捉え方をしています。ひとつは、人間のつくった仕組みで守られた世界です。そのなかで専門性が育まれ、デザイナーや建築家といった職能も生まれました。私たちは普段こっちの世界で生活しており、様々な意味でそうした近代的な仕組みから恩恵を享受しています。他方で、人間は必ず死を迎えますし、機械のようにコントロールしきれない生き物ですから、もうひとつの自分ではどうにもならないままならない生き物たちの環境世界を生きるしかありません。
各人の境遇によってバランスは異なりますが、そうした人間のつくったコントロールできる(と思っている)世界と、ままならない環境というふたつを生きる存在として、自らの生活を組み立てているのです。
けれども、現代では前者の方がどんどん精緻な仕組みになり大きくなっているなかで、後者との付き合い方が下手になっている、もしくは臆病になってしまっているのではないかと思います。

連:

インフォーマリティの構造とも似ていますね。つまり、スラムは近代的なシステムがあるからこそ存在・成立していて、相補的関係であるというのと類似しています。スラム側も近代的なシステムを利用していて、スラムだけが独立したものとして存在しているわけではないですから。インフォーマルな世界もフォーマルな世界があって成立しているわけですよね。 ひとつの仮説ですが、これからの社会においては、近代化されたシステマティックな世界とままならない環境を行き来する能力がより重要になってくる、と主張することもできると思うのですがいかがでしょうか。

岡部:

確かに、都市スラムの住人たちを見ていると、近代的な環境管理された世界を都合よく利用しつつ、そこからすっと抜け出してもインフォーマルコミュニティの暮らしがあって、人間のつくったシステムと命運をともにするしかないと思い込んでいる私たちより自由でいいなあと感じることもあります。が、やはり近代的な仕組みを回す人がいなければ、システムそのものが成立しなくなるので、フリーライダー的な側面もあるわけですね。自由に行き来する人たちがマジョリティな状況は不可能です。
「行き来する能力」は難しい問いですね。そもそも人間はままならない生き物ですから、自らの意思で「行き来する」というのは違うような気がします。異なるふたつの世界の存在を、俯瞰して認識できるのであれば、個のアイデンティティは揺るぎないものであり、「行き来する能力」という見方があり得ます。でも、行き来する行為によってしか異なる世界の存在自体が認識できないとしたらどうでしょう。「胡蝶の夢」でよく知られた荘子が説く世界認識ですね。そうなると行き来する過程で「私」自体も生成変化してしまい、「行き来する」ことをコントロールする能力の主体はあり得なないのではないでしょうか。

ゴンジロウ5か条

連:

そういう意味で、岡部先生や学生の方たちにとってゴンジロウとの関わりは、一見、大学研究室による地域再生や空き家再生のプロジェクトに見えますが、ままならない自分と向かい合うトレーニングになっているところがおもしろいですね。

岡部:

そうですね。最近「ゴンジロウ5か条」ができました(★2)。(1)住むこと、(2)お金がなければ頭を使う、(3)引き継ぎはしなくてもいい、(4)土地の所有は動かさない、(5)いつやめてもいい、です。
ひとつずつ説明すると、住むことというのは、スラムでも同様ですが、やはりそうしないとわからないことが沢山あるからです。学生がプロジェクトをやる場合も2〜3カ月でいいから住むことを推奨しています。ゴンジロウでの生活は、塩見というコミュニティで生きることを意味します。毎月25日の朝8時半に全世帯からひとりずつ出席する「常会」に出たり、神社や浜の掃除をしたり、お祭りなどの行事に参加することを大切にしています。ただ、住むこととは、地域とべったりではなく、ある程度の距離感をもち続け、よそ者として孤独な状態です。
お金がなければ頭を使うというのは、知識や技術もお金と並ぶ大事な資源だということですね。
土地の所有を動かさない、というのはスラムをフィールドとし所有に疑問をもつようになったことからきています。
引き継ぎは、学生の入れ替わりがあるので地域の人たちから求められることですが、私は頭を下げてできないことを伝えています。引き継ぎがあると、新しく入って来た学生は、やらなければいけないことに追われて萎縮し、やりたいことが出てこなくなってしまうからです。学生たちは怖いもの知らずで勝手なことをしますが、地元の人たちはとてもそれを放っておけません。「藪に入るときは長靴を履け」などと怒られたり、道具の使い方が下手なので教えられたりします。高齢者たちもその役割を担うことによって、結果的に活き活きします。スラムの住人でも高齢者でも、他人の役に立てると幸せを感じるのであって、施しをされてうれしい人なんていませんから。これでは研究室としての蓄積はできませんが、フレッシュさを保つために割り切っています。
いつやめてもいいというのは、要するにあまり頑張らないということです。もしやめてしまっても、必要なことであればまた復活するはずです。
私自身も多くのことを学びました。私は本来、挨拶や集団行動が苦手でしたが、集落の人に怒られて変わりました(笑)。最初は専門家の仕事のつもりで通っていましたが、今では私自身の生活リズムに組み込まれていて、逆にここに来ない状態が想像できないほどです。東京の家は築60年ほどの風呂なし別棟を改造したもので、現代的な住機能の水準を満たした住宅ではありません。東京での不完全な生活と、館山での不完全な生活と合わせてひとつの生活環境だと思っています。

Fig. 9:岡部明子さん(左)と連勇太朗さん(右)。

土地の所有を動かさない

連:

ゴンジロウ5か条のなかで、「土地の所有を動かさない」は、異質な印象を受けます。

岡部:

そうかもしれませんね。もう少し説明すると、例えばゴンジロウの土地と建物を私が買ったとして、ちゃんと管理されていなければご近所から単にクレームが来るだけですが、今も集落の方が所有している土地に建つ、代々引き継がれてきた家となれば、集落の方々が世話を焼いてくださったり、気軽に入ってくることができます。NPO法人ゴンジロウの所有にすれば、助成金を得て改修することも可能かもしれませんが、現状は私個人のお金でキッチンなどの改修を行っています。法律的にはお向かいの方の個人所有ですが、実態は多元的な所有なのです。こうして長い時間をかけて構築されてきた事実上の所有関係が、よそ者に売ることで失われ、二度と取り戻せなくなってしまいます。
所有を顕在化することの弊害を、私はスラムから学びました。1985年以降のランドタイトリング(土地登記の正規化)という政策は、スラムの人たちに居住の事実のある土地の所有権を与えるものでした。彼らが土地をもてば、それを担保にして借金もできるので、劣悪な住宅環境が計画的に改善されるのではないかという希望的観測に基づく政策でした。しかし、進んで土地所有権を正規化したのは、土地を売って現金化したいと思っている人たちで、結果的に彼らは土地を売却し別のインフォーマルな土地に居着き、新たなスラムが生成するだけでした。やはり所有は難しい問題です。

連:

なるほど。具体的な質問ですが、賃料や契約はどうされているのでしょうか。

岡部:

最初は、きっかけとなった地元の旅館経営者が責任を負って持ち主と不動産契約をして、持ち主承諾のうえで私たちが使わせてもらっていました。賃料はタダで、固定資産税と同額分と光熱費をお支払いしていたかたちです。その契約が切れた後最近になって、持ち主の方からの提案で、私と直接契約を交わしました。彼から認めてもらえたようで、うれしかったです。持ち主の方にもこの民家を壊したくない、残しておきたいという思いがあるようですが、放っておけば荒れていきますし、草取りなどの管理の問題もあります。市場価値のある別荘地ですが、相続発生時にすぐに壊して売ってしまうことにはならないであろう抑止力になっているかもしれません。

連:

私個人の話なのですが、妻と平屋180平米、土地が約750平米のお屋敷を借りました。引っ越すために改修の計画を立てているのですが、当然ながらそれなりのお金がかかってしまいます。楽しく実験的な暮らしをするのでお金がかかることに関しては許容できるという感覚と、一方で、賃貸なので一般的な感覚からすると資産形成という意味でメリットがないという資本主義の声(笑)の狭間で悩むことがあります。自らの所有物であればシンプルですが、この話も、元々土地の所有者が自分では住まないけど今の風景を残したいという思いと、私たちがここで暮らして何かやってみたいという思いが重なったところから始まったわけで、色々とお金の意味を考えさせられています。

岡部:

正直なところ私も悩み続けています。ハナレに一部屋を整備して、快適に生活できるようにすることを考えたこともあります。でも、ここが私たちの別荘になってしまうのは違うと思ったのです。
やはり毎週通うのは難しいというのと、体力的に学生たちとゴンジロウに泊まるのは辛くなってきているので近所のペンションに泊まっていますが、ゴンジロウの維持費を含めても、館山で小さな家を借りるより安く済んでいます。もし買っていたらこんな生活を続けていないと思います。それなりに労力はかかりますが、二地域居住を可能にする、風景を守る、そしてゴンジロウには人が関わることのできる余地を残すひとつの方法かもしれません。

連:

買ってフォーマルに所有すると枠組みによって守られるわけですが、インフォーマルだからこそ使い続ける、住み続けることでキープしているのですね。

岡部:

ある意味で占有して居座ることでしか担保されない事実上の所有のあり方です。フォーマルな所有の論理だけでは、今の日本の空き家問題や被災地の復興の問題は解消されないと思います。

半島端の自治

連:

ゴンジロウに関わる一連の取り組みを「ままならない世界」という観点からお聞きしてきましたが、例えば、人口減少から医療・福祉に十分にアクセスできなくて「住みたくても住み続けられない」といった地域の課題があったとして、その地域に関わる人間として何とかしたいと思う気持ちがあるのは自然です。建築やまちづくりに関わっているのであればなおさらです。そうした課題を解決するには戦略や計画が必要になりますし、システム側の世界の思考が求められます。そちら側の取り組みに関して考えられていることがあればお聞きできますか。

岡部:

戦略や計画と言うと、その中身が問われていると一般的には思われますが、ジョン・ターナーの言葉を借りるなら、「それを誰が考えて決めたか」によって違ってくるものです(★3)。
ここは房総半島の南端に位置していますが、日本全国には半島が沢山あります。特に半島端では、路線バスの経営状況や担い手不足といったモビリティ、防災の問題など、高齢化と人口減少で全国的に深刻化していることが一段とシビアになります。
例えばモビリティ戦略あるいは計画について、ライドシェアやオンデマンドのサービスの導入があります。でも、これらを行政から提案されたメニューから選択するのか、自分たちで考えて決めるのかが大きな違いです。
私たちもここ数年モビリティ関連プロジェクトに関わっており、NPO法人ゴンジロウが政府の公共交通実証実験を現地でお手伝いして意外なことに気づかされました。高齢者は好きなときに好きなところへ行ける移動手段がほしいというよりは、路線バスの時間が生活リズムになっている場合もあることを知りました。わざわざ呼んでまで出かけたいところはないし、定期であることが重要なのです。みんなでそうしたニーズを集め、専門家任せの他律的ではできない具体的な提案があるはずです。半島端は島に準じる厳しい条件下にあって、自律的な自治で何とかしてきた文化があります。2024年1月の能登半島地震でもその地理的条件からくる脆弱性が露呈した半面、自分たちで解決しようとする半島端自治の底力が発揮されました。
専門家として、10年くらいの中期的なスパンで青写真を提示しようというのではなく、戦略や計画ができてくる仕組みの方を自律的にすることに尽力したいと考えています。所与とされていることを疑う勇気をもち、高齢化や居住の問題構造自体を考えるという意味で、これもスーパーマクロなアプローチと言えるのではないでしょうか。


★1──岡部明子『バルセロナ:地中海都市の歴史と文化』、中公新書、2010年>
★2──岡部明子「地域社会の持続的発展に向けて〈112〉 古民家ゴンジロウ 茅葺を継いで孫らが戻ってくるのを待つ」、『信用金庫』、一般社団法人全国信用金庫協会、2023年1月号、52–55頁
★3──Turner, John F. C. Housing by People: Towards Autonomy in Building Environments, Ideas in progress, London: Marion Boyars, 1976

文責:富井雄太郎(millegraph) 服部真吏
撮影:富井雄太郎
サムネイル画像イラスト:荒牧悠
[2024年8月1日 古民家「ゴンジロウ」にて]

岡部明子(おかべ・あきこ)

1985年東京大学工学部建築学科卒業後、1987年まで磯崎新アトリエ(バルセロナ)勤務。1989年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了。2005年博士号(環境学)取得。千葉大学大学院工学研究科教授を経て、2015年より東京大学大学院新領域創成科学研究科教授。

連勇太朗(むらじ・ゆうたろう)

1987年生まれ。建築家、博士(学術)。明治大学専任講師、NPO法人CHAr(旧モクチン企画)代表理事、株式会社@カマタ取締役。主なプロジェクト=《モクチンレシピ》(CHAr、2012)、《梅森プラットフォーム》(@カマタ、2019)など。主な作品=《2020/はねとくも》(CHAr、2020)、《KOCA》(@カマタ、2019)など。主な著書=『モクチンメソッド──都市を変える木賃アパート改修戦略』(学芸出版社、2017年)。
http://studiochar.jp

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公開日:2024年08月28日