「建築とまちのぐるぐる資本論」対談3

コミュニティデザインから経済を考える

山崎亮(株式会社studio-L代表取締役、関西学院大学教授)+連勇太朗(明治大学専任講師、NPO法人CHAr代表理事、株式会社@カマタ取締役)

「建築とまちのぐるぐる資本論」では、これまで広島県尾道市、徳島県の上勝町、長野県大町市や小諸市などへ足を運び、取材や議論を行ってきたが、今回、近畿地方へも出かけてきた。その成果を3本連続でお届けしたい。
コミュニティデザイナーの山崎亮氏は、現在、蔵書を集中させた新居の仕事場に籠って思索を深めている。著書『コミュニティデザイン人がつながるしくみをつくる』(学芸出版社)から13年、今わけて関心をもたれているコミュニティと経済について対話を交わした。 「面識経済」、コミュニティデザインにおけるシステムと人間性、労働と美学など多様な話題が展開された。

Fig. 1:山崎亮さん(右)と連勇太朗さん(左)。山崎さんの自宅にて。

グローバル資本主義経済と面式経済

連勇太朗(以下、連):

特集連載 「建築とまちのぐるぐる資本論」は、建築物単体についての議論ではなく、お金やマテリアル、コミュニティなども含む社会的・経済的循環の問題を考えようという主旨で、各地で様々な実践を見聞きしてきました。
いずれもとても素晴らしいのですが、他方で、依然として大局を動かしているのは大資本による大規模開発や宅地開発などで、投機目的のマンション建設も留まるところを知らないという状況です。連載のなかでも、宅地のスプロールや 「住宅過剰社会」(野澤千絵)は一向に衰えていないという指摘がありました。
私としては、「資本主義の終焉」や「脱資本主義」などとは安易に言えないというリアルな状況を受け入れながらも、どのようにしてその課題を乗り越えていくか、つまり資本の循環について深く考えなければ、これからの建築やまちのことも考えられない、と思っています。今日はそうした観点から山崎亮さんとの対談を楽しみにしていました。

山崎亮(以下、山崎):

議論の機会をありがとうございます。私も、経済の循環という問題には深い関心をもっています。みんながなかなかしにくいお金の話をあえてしようという意図もよく理解できます。でも、結論から言ってしまえば、お金の話はしない方がかっこいいと思っています。その理由については徐々に話していきます。
注意しなければいけないのは、お金のことを理解してお金の話をしないということです。お金に無頓着なように振る舞いながらも、実は巨大資本に利用されているだけというのはかっこ悪いですね。
まず前提として、グローバル資本主義の巨大な力は、依然として世界の隅々まで行き渡っていないと考えています。今日も、世帯内あるいは小さなコミュニティ内には、資本主義とは言えない経済的なやり取りがあります。例えば家で料理をするときに、それを食べる家族から原材料費に手間代や利益を乗せた代金を取る人はなかなかいないでしょうし、将来的にもそれが変わることはないでしょう。
そういう意味で、世の中には3種類の経済があると思っています。
①は、見ず知らずの人とお金を介してやり取りする経済で、量販店やコンビニ、インターネットでの買い物などです。そこでは誰がお金を支払って誰が受け取っているかを互いにほとんど意識しません。
②は、面識がある人とお金も含むやり取りをする経済です。例えば、いつも髪の毛を切ってもらっている美容師さんに仕事の対価は支払いますが、旅行のお土産をあげたりもらったりするときにその代金は互いに支払いませんね。知り合いの家具屋さんがつくった家具を買う、などもこの②に入ります。
③は、家族や近隣でのお金を介さない行為や物々交換による経済です。例えば、先ほど例に挙げた家族のための料理や、自分の庭で柿が沢山採れたから近所の人に配るなどです。
私は、②と③を「面識経済」と名付けました。①の経済をなるべく減らし、②と③の面識がある人たちのなかで、かつお金のやり取りをあまり介さずに暮らせるコミュニティをつくることができれば、安心して豊かに生きることができます。
戦後、日本では急激な人口増と農村から都市部への人口移動、都市の成長が起こりました。都市に暮らす人たちは、血縁・地縁から離れ、自由と便利さを求めることで②と③を減らしてきたのです。見ず知らずの人とのお金のやり取りを増やすことで経済が成長し、それをみんなで喜ぶことができたのがこの80年ほどですが、振り返ってみると、食料自給率や地域固有の習わしなど非常に大切なものを失った期間でもあったと思います。
①の経済を全否定することはできません。例えば、自分の友人がスマートフォンをつくっているということはほとんどないでしょうから、グローバル資本の会社から買わざるを得ません。でも、①ばかりに頼っている人は災害や危機に弱いです。コロナ禍でマスクの値段が高騰したり、ロシアのウクライナ侵攻によってエネルギーコストが上がったりと、グローバル経済の影響を直接的に受けます。
実は、能登半島地震があったにもかかわらず、内陸部のある集落には自活できている人たちがいます。それが可能なのは、沢を流れる水を生活に使い、自ら野菜をつくり、また、発酵による保存食の知恵をもっているからです。

連:

経済を3つの層で考えるという発想はとても共感できます。今、『社会変革としての建築』という本を執筆中なのですが、そこでの主張のひとつは、社会システムをいかに建築的実践によって複層化するかということです。
おっしゃるように、①の経済にのみ頼って生きていると、リーマンショックのような大きな危機が起きた時にどうしようもなくなってしまいます。とは言え、私も山崎さんと同じくグローバル資本主義を100%キャンセルすることはできないわけで、そんなに甘いものではない。そういう意味で「脱資本主義」や「ポスト資本主義」とは異なる発想をする必要があり、そのひとつの戦略が社会システムの複層化していくことだと考えています。自分たちを支えている関係性やレイヤー、セーフティネットをいかに多様につくっておくかということです。例えば、多拠点居住によって複数の生産関係のなかで生きるというのもひとつの方法ですね。 饗庭伸さん も「小さな経済圏」をDIYしていくことの可能性を示唆されていました。建築やまちづくりの領域は、多様な社会的レイヤーを醸成していく可能性に満ちていますね。

山崎:

そうですね。いざという時に必ず助け合おうという人が身の回りに3人でもいればずいぶん安心です。そのためにも、自分たちで①の経済をなるべく減らし、②と③の面識経済の比率を上げていくべきです。
必要な器を探していて、地元の土と水を使って成形し、電気窯ではなく裏山の間伐材を焼いて窯を高温にしてつくっている知り合いの作家さんから買おうとするとき、その器が量販品よりも3,000円も高い、などとは言わないでしょう。そういう意味で「お金の話をしない」のがかっこいいと思います。
コミュニティもしくはアソシエーションには、精算し切ることができない関係性があります。私が何かをしてあげたとき、それがお金でいくらなのかは計算できせん。行為や差し上げた物が、受け取る側にとってどれくらいの価値があるのかというのは人それぞれですから、常に貸し借りやお釣りが残った状態が続いていくのです。

連:

贈与と返礼のようですね。

山崎:

そうですね。数字に変換されないような贈与と返礼を、人と人とのつながりのなかで紡いでいくことは、ひとつの良い方法だと思います。

まちに根差す建築家

連:

最近は自身の事務所をまちに対して開いたり、カフェなどの小商いを営む建築家も増えていますが、それはまさに面識経済を身の回りに増やそうという潜在的欲求によるものなのかしれませんね。多くの人が、請負の設計業や、グローバル資本主義経済に依存した建築実践の危うさを直感的に感じているのだと思います。

山崎:

とても良いことだと思います。建築家もいかに面識経済の比率を上げることができるかが問われています。顔が見える関係性のなかで設計を依頼されれば、その地域や人々に配慮しない「作品」をつくるわけにはいきません。建築雑誌などのメディア上での評価を気にする建築家にはなれないのです。①の経済を舞台とする建築家が、地域の環境や特性を配慮しながら微に入り細に入り気の利いた設計をすることはおそらくできないと思います。誰もが同じ1日24時間を生きていますから、あちこち移動すればそれだけ時間が取られ、コミュニティに顔を出す機会が少なくなります。多くの時間や意識をその地域や人々に向けることが大事です。持続的な関係性があれば、さらに増築や改修、メンテナンスを依頼されることもあるでしょう。
社会学者の 松村淳さん が『建築家として生きる 職業としての建築家の社会学』(晃洋書房、2021年)で書いていた、地域に根差した「まち医者的建築家」はひとつのモデルだと思います。

連:

今後の建築専門教育のあり方にも関わるところですね。

山崎:

確かにそうですね。今言ったような文脈においては、住宅に作品性や批評性は必要ないと思います。①の世界でやっていこうという建築家にとっては業界内での評価は大切なので、作品性や批評性をすべてなくしてしまえ、とまでは思いませんが、その影響力が若い建築家や学生に対して強過ぎるのは問題です。人々が安心して住める家、長く使える建物をつくることはひとつの職能ですから、人心に欲望や嫉妬を植え付けるようなデザインをしたり、私に発注してくださいと言っているかのように自身で設計したものをSNSやWebに載せるのは本来浅ましいことです。
また、日本のエネルギー事情をよく考えれば、断熱性能や気密性に取り組まざるを得なくなります。ローカルな気候風土や材料のことを理解し、地域の様々な事情を知る大工さんと一緒につくることができる建築家であるべきです。周りの人々にそういう建築家であると認知されていなければ、ハウスメーカーやディベロッパーによる大資本の広告の力に負けてしまいます。

コミュニティデザインの浸透以後──人間性についての考察

連:

特に東日本大震災以降、コミュニティや地域社会の重要性がよく言われるようになりました。そのきっかけのひとつになった『コミュニティデザイン 人がつながるしくみをつくる』(学芸出版社、2011年)の出版から10年以上が経過し、今やコミュニティデザインは世の中にしっかり浸透したようにも見えるのですが、そのことについてどう思われますか。

山崎:

実は『コミュニティデザイン』では書き切ることができなかったことに関心があります。私たちの事務所であるstudio-Lのミッションは、コミュニティデザインのためのスキルを様々な地域と共有していくことですが、それは、単にスキルをもっているだけでは不十分で、相手の感情に配慮し、寄り添うことができる、助けてもらえる、愛される「人間性」が必要です。尊敬されたり、恐れられてしまったら負けで、「よそ者に言われる筋合いはない」と言われてしまいます。一緒に笑ったり、突っ込まれたりしながら、「そんなお前は実は地域を良くするやり方を知っているんだろう」と思われるような関係がなければ、コミュニティデザインのスキルを手渡していくことはできません。実感としては、3割がスキル、7割が人間性によります。
スキルは教育や本などによってある程度伝えられますが、人間性については難しいです。偏差値が高くてお金を稼ぐことができれば良しとされていた時代はもう終わっています。定年退職後の孤独なども社会課題です。まさに③の圏域を大きくしてくことを人生の目的にした方が豊かだと思います。

連:

スキル、システム、方法論はどれもグッドプラクティスを水平展開したり、広げていくときに有効ですが、そこに人間性がどのように加わるかが実は重要なポイントなのかもしれませんね。近代は、属人的な部分が存在しなくても成立するようなシステムが希求されていたのかもしれませんが、これから社会をより良く変えていくためには、人間性が加わることによって、より活性化するようなシステムや仕組みが必要なのでしょうね。
私の博士論文は、大学院生のときに始めたプロジェクト「モクチンレシピ」を理論化したもので、「コモンズアプローチ:建築デザインの共有資源化による協働と探求の計画理論」というタイトルです。モクチンレシピの当初のミッションは、無数にある木造賃貸アパートの空き家や既存不適格という社会的な問題に対して、Web上で改修アイデア(レシピ)を公開して、まちの不動産屋さんに使ってもらい、自律分散的に沢山のアパートや空き家が再生されていくことでした。それはある一定のレベルで達成できたのですが、実はもう少し違う点に可能性があるようにも感じています。
不動産屋さんは、モクチンレシピを使って改修することで、古くて価値がないと思われていた物件の魅力を発見したり、まちを見る視点が変わります。当然ながら改修しても借り手が決まらない物件もあり、その原因を考えていくと、高齢化や福祉、働き方など、私たちの社会のより深い問題が関係していることに気付かされます。そうした問題はモクチンレシピという道具、システムだけでは解くことができません。おもしろいのは、モクチンレシピがコモンズ(共有資源)になり、不動産屋さんと私たちの関係性が構築され、コミュニケーションがあることで、お互いの認識や価値観が変容していくプロセスがあるということです。こうした発見があり、ドライにWeb上でシステムを展開していくことではなく、他者との「協働」と「探求」にモクチンレシピの本質的な可能性があると考えました。

山崎:

面識経済とはまさにそうした人間社会の関係性の経済です。経済学の古典を読み直しているなかで、現代の資本主義に影響を与えていると言われるアダム・スミスでさえも、面識経済に近いことを言っているように思いました。
最も有名なのは、「見えざる手」や「レッセ・フェール」が出てくる『国富論』(1776年)ですが、第一章は「分業」についてで、ピンの製造工程が例に挙げられています。針金を引き伸ばす人、まっすぐにする人、切る人、尖らせる人、……と細かい描写があり、18もの異なる工程を分けることで素人でも可能な作業になり、ひとりですべての工程を行うよりも生産性を高められる、という主旨ですが、実は「面識」に関わっているように思えました。例えば、手前の作業を行う人が嫌なやつで、ピンの手渡し方が悪ければ生産性にも影響が出るでしょう(笑)。
そもそもアダム・スミスは経済学者ではなく道徳哲学の教授で、『国富論』の前には『道徳感情論』(1759年)という本を書いていて、そこには利己的であると同時に他者を気にする存在としての人間が描かれ、また「公平な観察者」という概念も出てきます。人間性へ深い洞察に満ちているのです。
『国富論』もよく読めば、公共の利益を考える国家の重要性や、独占への批判について書かれています。「見えざる手」は、新自由主義を擁護するかのようにある種の誤読がされてきましたが、実際は、先進国がグローバルサウスから資源や人件費を安く買い、格差を拡大させ地球環境を破壊しながら経済を回してきたわけです。アダム・スミスもそう書いていない「神の」見えざる手による差配であるはずがなく、間違った差配です。これは、最近の経済学者も指摘しているところです。

労働の喜び、 人生の豊かさについて

連:

本特集連載では、価値や美学についても考えてきました。法的な私有ではなく多元的な所有について思考している 岡部明子さん、貨幣経済への依存を減らせるコミュニティや市場価値で評価できない緑豊かな共有地の価値を提唱している 石井光さん、「官能/センシュアス」や寛容性といった都市の新しい評価軸を見出した 島原万丈さん などが挙げられます。また、高級な材料とチープな材料の価値転倒を図る 長坂常さん、解体時に回収した「古木」に新しい価値を与える 山翠舎・山上浩明さん らは、マテリアルの価値を更新するような実践を行っています。建築史家の 加藤耕一さん は、モダニズム的なアンチ・ラグジュアリーへ疑念を投げかけ、かつ再開発プロジェクトのようなラグジュアリーではない、「ボトムアップのラグジュアリー」の可能性を示唆しています。お金で計ることのできる価値とは異なる価値観が示されています。

山崎:

労働の楽しさや喜びの問題が想起されますね。20世紀初頭、フランク・ロイド・ライトは機械生産を受容し、また、ヴァルター・グロピウスは、機械生産ならではの美しさ、シンプルな形態、点と線、原色の構成を称揚しましたが、それらを実際につくる労働者に喜びはあったのでしょうか。ライトやグロピウスより少し前の時代のウィリアム・モリスは、機械生産ではなく、手間を惜しまない手仕事に喜びを見出し、それによって美しい生活環境をつくり出すことに価値を置きました。
現代では、非常に複雑な形であっても高度な技術によってつくることができますが、誰がやっても同じようにオペレーションできて生み出された美に対して、心から美しいと思えるのでしょうか。私はそういう意味ではライトやグロピウスよりも、モリスや民藝運動を率いた柳宗悦の方が美のことをわかっていたと思います。
モリスの師であるジョン・ラスキンの価値論もとても参考になります。ラスキンは、産業革命による陳腐な量産商品を嘆き、自然には自然が、原料には原料がもつ「固有価値」があり、人間はそれを「享受する能力」を高めることによって有効価値、豊かさが生まれるとしました。その享受能力はいかに高めることができるでしょうか。私は、健康で、目を輝かせ、あらゆることに興味をもつ感性、喜びと共に活動できることだと思います。
人はお金を稼ぐためだけに働くわけではありません。愛する人から頼まれたら行動するでしょう。つまり、人を動かすのはお金だけではなく人の力でもあるのです。ラスキンは、人間にとって人生自体が大きな資産なので、それをちゃんと運用しなさいというようなことを言っています。他者を愛する力、褒める力、共に喜ぶ力をもっていて、しかもそれはお金と違って出し惜しみしなくていい。豊かな人生とは、自分の人生を使って他者に良い影響を与え続けることです。そういう豊かな人生を歩んでいる人が沢山いて、面識経済で回る地域こそが豊かな地域であり、ひいては、そういう地域が沢山ある国が豊かな国だと思います。
コミュニティデザインのワークショップに参加すると、まちのことやまちに住む人々のことを考えるようになり、助け合える友人が沢山できて、一緒に活動していくことで、お金をかけずとも幸福や豊かさを感じることができます。そうやって他者に良い影響を与え続ける人を増やしていくことが私たちのミッションです。

文責:富井雄太郎(millegraph) 服部真吏
撮影:富井雄太郎
サムネイル画像イラスト:荒牧悠
[2024年10月1日 山崎亮さんの自宅にて]

山崎亮(やまざき・りょう)

1973年生まれ。コミュニティデザイナー、博士(工学)。株式会社studio-L代表取締役、関西学院大学教授。大阪府立大学大学院(地域生態工学専攻)修了後、建築・ランドスケープ設計事務所を経て、2005年studio-L設立。主な著書=『コミュニティデザイン 人がつながるしくみをつくる』(学芸出版社、2011年)、『コミュニティデザインの源流 イギリス篇』(太田出版、2016年)、『ケアするまちのデザイン 対話で探る超長寿時代のまちづくり』(医学書院、2019年)。

連勇太朗(むらじ・ゆうたろう)

1987年生まれ。建築家、博士(学術)。明治大学専任講師、NPO法人CHAr(旧モクチン企画)代表理事、株式会社@カマタ取締役。
主なプロジェクト=《モクチンレシピ》(CHAr、2012)、《梅森プラットフォーム》(@カマタ、2019)など。主な作品=《2020/はねとくも》(CHAr、2020)、《KOCA》(@カマタ、2019)など。主な著書=『モクチンメソッド──都市を変える木賃アパート改修戦略』(学芸出版社、2017年)。
http://studiochar.jp

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公開日:2024年10月30日