「建築とまちのぐるぐる資本論」鼎談2

マテリアリティの再発見と新しい建築的ラグジュアリー

吉良森子(moriko kira architect主宰、九州大学教授、明治大学特別招聘教授、神戸芸術工科大学客員教授)+加藤耕一(東京大学工学系研究科建築学専攻教授)+連勇太朗(明治大学専任講師、NPO法人CHAr代表理事、株式会社@カマタ取締役)

ユーザー参加やAIと建築家の職能

連:

リノベーションはそもそも過去の色々な時代の人の手が入っていて、複数性がありますね。また、ローカルなプロジェクトでは、ユーザーやまちの人などの意志が加わって、建築家ひとりがデザインしたのではない渾然一体としたものになります。さて、デザイン理論の領域では「Design with people」から「Design by people」という言い方があるように、デザイナーは背景に退き、ユーザー自らがデザインできるようになる仕組みやツールを提供したりサポートをすることがデザイナーの仕事になるのだ、といった類の議論もあります。一方で、建築は法律や資格も制度として厳格なので、なかなかそこまで振り切れない部分もあると思いますが、AIもどんどん発展していき、誰もがクリエイターになれるような時代、デザインの根拠や評価が複雑化した時代に、建築家は美学や理念をどこまでどのように保持すべきなのでしょうか。また、それは社会的にどういった意味があると思いますか。

加藤:

私自身は、建築家という存在は残り、今後もプロフェッショナルとしてデザインをし続けてほしいと思っています。確かに参加型は楽しいイベントでもありますが、そこに専門家が介在することでより良い建築になるという信念はしっかり固持してほしいです。例えば、生成系AIが様々なデザインを参照して色々なものをつくり始めていますから、放っておいたら職能自体がなくなるかもしれないという危機感はありますが、AIは新しく何かをつくり出しているわけではありません。建築の新しい世界を切り拓いてきたのは歴史上の建築家でしたし、切り拓いていくのは未来の建築家でもあるだろうと思います。
時代がこれだけ変化しているなかで、建築のデザインがどうあるべきかは、美学の問題としても、社会の問題としても考えなくてはいけないですし、その時に参加や協働という問題は避けて通れません。20世紀には専門家と一般の人が乖離してしまったわけですが、やはりそれらはもう一度つながり直してほしいです。

吉良:

私自身は、むしろ参加型の方が建築家がやるべきことが明快で、建築家としての責任が求められると思います。
私はオランダでいくつか住民が組合をつくって自らが開発主体となってタウンハウスや集合住宅を計画するプロジェクトに関わってきました。こういうプロジェクトは同じような社会層が参加する分割所有のコーポラティブハウスが多いですが、2022年に実現したプロジェクトは、共同所有の賃貸の集合住宅で、みんなが集まる部屋や一緒に野菜を育てる大きなルーフテラスがあり、低賃料の小さなユニットから150平米を超える大きなユニットまであって、多様な人が共に暮らしています。
初めて住民参加型のプロジェクトをやった時は、個々の住民の希望をどこまで聞いたら良いのか悩みましたが、一対一でクライアントと決めるよりも、様々な人が参加している方がディスカッションとしてもおもしろいものになるし、共通の目標を共有することができれば、かえって意見はまとめやすいと思います。複雑なプログラムを整理して、住民が求めているものや夢を形にして、それを法律や予算の枠組みのなかに収めて、その場所にしかない、かけがえのないものをつくるということはAIにもできないのではないでしょうか。

Fig. 9・10: フローニンゲンの共同住宅「EBBINGEHOF」。写真撮影:Daria Scagliola

Fig. 11: 地上階の中庭と、レベルの異なるふたつのルーフテラスで野菜を育てることができる。写真撮影:吉良森子

連:

意見を調停する方法によって、できる物が変わっていきますね。参加のプロセスのなかで、建築家もユーザーも双方の感性や美学が変わっていくとおもしろいですし、それは現代的なことだと思います。

マテリアルの再利用、スポリア

連:

さて、この一連の特集で見えてきた共通の手法というかアプローチのひとつとして、建材の循環や廃材の再利用といったものがあります。例えば、尾道空き家再生プロジェクトは、解体される空き家の建具や床材、柱、特徴的な部分や家具などを倉庫にストックして、別の建築再生にうまく活用していました。また、本多栄亮さんの論考で紹介されているベルギーのRotorという建築事務所は、建築の廃材を大規模に流通させたり、そうしたプラットフォームをつくる活動をしていて、ビジネスとしても展開しつつあります。マテリアルのフローを考えることは、美学の問題であり、事業や産業の問題でもあり、地球環境問題にもつながる大変興味深いテーマです。加藤さんの研究されている「スポリア」との共通点も多いように思います。

加藤:

歴史としては、スポリアは古代ローマ帝国の終わりと結びついています。特に古代ローマの多神教時代の神殿が、古代末期のキリスト教の勃興によって相容れないものになり壊されていった時に、解体現場から持ち出された大理石の彫刻で飾られた柱などが新しいキリスト教聖堂に再利用されていきました。中世になると再利用できる物は少なくなりますが、それでもその伝統は続きます。そうした再利用の手法が、ルネサンス期には「中世の建築家は自らデザインする力がなかった」というような言われ方に変わってくるわけです。ルネサンス期は建築や空間の統一性が求められ、色々な再利用材が混在するような不純性が嫌われたので、以降は20世紀に至るまで、スポリアがポジティブに捉えられることはありませんでした。
美術史や建築史の研究としては、2000年前後にスポリアが再発見され、盛んになっていきました。それは古い建築がただ壊されるか、あるいは厳格に保存されてきた20世紀とは社会が大きく変わり始めた21世紀の状況が、古代末期に起こったスポリアのおもしろさ、過去を物質的に継承することに共感したのだと思います。部材を再利用して使い続けることの可能性が再び見えてきたわけです。
一方で、壊して捨てるにはもったいないから別の場所で使おうというような再利用は、実は建築において連綿と行われてきたことです。例えば、内田祥三が関東大震災後に東大の本郷キャンパスを再生していく時も、解体された明治時代の校舎の部材をいくつか再利用したり、震災で解体された建物の基礎構造を再利用したりしています。
現代建築においてスポリアが創作手法として用いられることは、私にとっても歴史的にすごくおもしろいことです。建具は割と簡単に再利用できますが、構造部材でできるようになると、よりおもしろいと思います。法規制の問題もありますが、新しい姿への期待感をもっています。

Fig. 12: ローマの「サンタニェーゼ・フオーリ・レ・ムーラ聖堂」で見られる古代円柱のスポリア。撮影:加藤耕一

吉良:

壁構造の文化では、完全に解体することはなくて、壁になっている石やレンガは捨てずに再利用するのですよね。その場合、それほど歴史性は尊重されていなくて、漆喰を剥がしてみるといろんな時代の石やレンガのパッチワークになっているのです。
西洋建築は石造だから残り、日本は木造だから残らないというのはある種の事実ですが、でも木造建築のフレキシビリティは本当はすごく可能性があります。後から耐震性能や断熱性能を上げることもできますし、腐ったところだけ部分的に交換することもできるのですから。

連:

日本の在来木造では、柱に使っていたものを土台にしたりということもごく普通のことですね。

加藤:

いわゆる古民家ではほぞ穴がたくさん空いた木材が数多く使われていて、それは再利用の伝統を示すものでした。20世紀のマインドのなかでは、そうした痕跡は見えないものとして扱われてきたのではないかと思います。

吉良:

拡大の時代、前のめりの時代には、過去など存在しないかのような風潮が日本に限らずオランダにもありました。建築家はリノベーションなんてやるものではないという言われ方もされていました。そうした時代は終わっているはずですが、いまだ20世紀に囚われて、再利用なんてケチくさい、みたいなことを思っているおじさんも沢山います。古い物を現代に活かすことはとても豊かなこと、幸せなことだと思うのですが。

加藤:

スポリアの研究が明らかにしてきたことは、再利用材の歴史や意味を解釈して使う場合と、パッチワーク的に単にそこにあったから使う場合のふたつの極があったということです。また、例えば柱として使える材が沢山あるけれど求める空間に対して短かった場合に、柱を継ぎ足した不思議な二重のアーチ構造がつくられ、独特の不思議な空間が生まれた事例もあります。

Fig. 13: コルドバの大モスクで見られる円柱のスポリア。上部に角柱を継いで二重のアーチが設けられた。撮影:加藤耕一

連:

古い材の再利用は、大量生産されているプロダクトをコピーアンドペーストして設計するのとは異なり、有限性のなかで物や空間の構築を考えるおもしろさがありますね。これからますます実践のバリエーションや事例が積み重なっていくと思いますが、歴史的な概念であるスポリアの研究や評価とつながっていくとおもしろいですね。

加藤:

マルクスの唯物論が指し示すマテリアルとは、商品のことでした。20世紀はまさに家電などの商品に囲まれた豊かさが追求されてきましたが、そうではなくて「ぐるぐる資本論」から見えてくるのは、ひとつひとつの材の豊かさ、唯一性を見直すことの可能性です。その時に、もう一度私たちが取り戻すべきなのはマテリアリティへの感性です。どうでもいい材ではなく、ある種の目利きとしておもしろい物を選び抜くこと。普通の人が一見するとゴミにしか見えないような物でも、何か可能性を見出す感覚が大事です。
改めて現代を考えると、西洋の建築史において長く残ってきた建築と、現代のリノベーションにはそもそも物質性の違いがあります。単純に西洋建築は石造であることも大きな違いですが、結局長く残ってきた建築は、すごく巨大だったり、お金をかけてつくられたもので、庶民の住宅が1000年残ることは、火山灰に埋まっていたポンペイなどの例外を除きやはりほとんどなかったわけです。翻って今、築80年の木造建築をリノベーションする場合、それがさらに80年残るにはどうすべきだろうかという建築の時間性を考えるようになりました。

建築教育の再編、価値観の更新

Fig. 14: 連勇太朗氏。

連:

今日の議論を踏まえると、建築設計教育の再編や更新も必要だと思うのですが、何かアイディアをおもちだったりしないでしょうか。デザインの授業は依然決まったビルディングタイプの製図が主軸で、模型をつくってプレゼンテーションするというのが一般的です。

加藤:

私自身は、設計教育に限らず建築学全体が変わっていくべきだと考えています。例えば建築の構造は、20世紀の技術的な発展を経て今は基本的にどんなことも可能になっていますから、今後目指すべきは20世紀とはまったく異なる方向性なのかもしれません。建築史の教育も、従来はある建物が何年につくられた、といった新築時のことだけを教えていましたが、機能や形が時のなかで変化してきたこと、点の建築史ではなく線の建築史を教えていくべきだと思っています。
建築教育は既に確立されているかのようですが、それが現状の20世紀的なスクラップ・アンド・ビルドを肯定してしまっています。現代の建築における専門性の役割を自ら問うようなことが、構造でも環境でも起きてくると設計の教育も変わってくるでしょう。美術館や図書館などのビルディングタイプごとの設計課題に学ぶことももちろんたくさんありますが、背景にある常識が変わるべきです。

吉良:

最近の学生たちのなかには、これまでの成長を基盤としたロジックではもう立ち行かない、と感じている人がどこの学校にも一定の割合いるように思います。そこで、2023年11月の神戸芸術工科大学での講演会で、設計の成果を見せるというよりは、その過程で私自身が設計者として悩んだこと、納得できないことを共有してみたのです。すると、普段は質問をしない学生たちが活発にディスカッションに参加してきました。20世紀の教育を受け、その仕組みのなかで生きてきた私が、自分の経験をそのまま若い人に伝えてもあまり意味はないと思っています。できるのは、これから建築が対峙し、関わっていく社会を横断するテーマを一緒に考えることしかありません。基礎は必要ですが、教員の知恵や蓄積を集めつつ、横断的にやっていくべきです。大学というスタティックなシステムのなかで、いかにダイナミックに展開できるかが問われているのではないでしょうか。

連:

おふたりの話を聞いていると、建築教育もひとつモデルに全体が従うのではなく、大学や地域ごとの特殊性をもっと取り込んでいく必要があると思いました。教育モデルを普遍化してそれを全体に展開しようという発想自体が、近代の枠組みに囚われてしまっている証拠ですね。

加藤:

多様性はすごく大事だと思います。今東京大学でやっている試みは「キャンパスマネジメント研究センター」です。キャンパス内には築90年ほどの建物が沢山あり、壊して新しくする予定はないけれど、使い続けるために機能改善をしていかなくてはなりません。それには建築学の多様な専門性の横のつながりの再構築が必要です。古い校舎を使い続けることは大学の価値を高めることにもつながるはずであり、キャンパスを実験場として21世紀の建築や都市のあり方の可能性を示すことが可能なのではないかと考えています。構造、環境、意匠などの領域がいかに連携すればいいのか。まだまだ道半ばで、教育には結びついていませんが、徐々に変えていきたいという意識をもっています。

連:

目の前の具体的な課題をフィールドにするという話ですね。教員も連携方法がわからないような時に、それこそ問いを学生と共有する可能性を感じます。

加藤:

建築情報学の領域も盛り上がっていますが、例えばセンシングや3Dスキャンの技術は古い建物の調査にもすごく使えます。教員が悩みを伝えると、むしろ学生の方がそういった知識やツールについて詳しいので、まさに共有や協働がすごく大事です。
20世紀の建築教育はスクラップ・アンド・ビルドに基づく建築産業の経済的な回転のなかにはまってきたので、私たちはそこから抜け出すのもすごく難しいわけです。一方ヨーロッパでは、2000年の歴史をもった建物が身の回りに残り続けているという感覚がありますから、モダニズムの理念を学んでも、一辺倒にはなりません。スクラップ・アンド・ビルドこそが建築や都市を発展させるという20世紀的な常識は、実は極めて偏ったものだったという事実を、建築の専門家だけでなく一般の人も含めて再認識する必要があります。リノベーションの豊かさ、古いものの良さをいかに共有して、しかもそれを新たな経済の仕組みにつなげていく手法が問われています。大資本によるスクラップ・アンド・ビルド型の再開発ではないかたちで、それに負けない産業化を実現する方法を考えたいところです。

吉良:

「ぐるぐる資本論」的には、身体的な経験もすごく重要になってくると思います。いかに物を体験して考えたか。フラットな知識からでは、結局フラットな結論しか出てきません。自分自身をAIとは異なる人間としてつくっていくことは、これからの大変な課題だと思います。

連:

現実の課題、具体的な行為、相手との対話やインタラクションのなかで知が生成され、それをチューニングしていくことが専門家の役割なのだと思います。専門家の知識が絶対的なものではないという考え方がますます大切になってくるのではないでしょうか。

加藤:

人間と建築の間を取りもつ仕上げや素材のマテリアリティは、最近特に興味をもって研究しているところです。そのなかで、ラグジュアリーという問題もよく考えています。ラグジュアリーは、20世紀の建築家の批判対象で、やってはいけないものとされていましたが、古代から19世紀までの建築家の仕事は、クライアントが出したお金に対してきちんとラグジュアリーを提供し、クライアントの満足を得ることでした。20世紀のモダニズムの建築家は、社会の上層ではなく労働者階級を相手として、アンチ・ラグジュアリーを掲げて、ローコストかつ質の高い空間をつくることを目指したわけです。そして20世紀の経済成長時代とともに、労働者階級が社会的にも底上げされ、その空間が改善されたことで、モダニズムのコンセプトは20世紀の覇権を握りました。ただ、拡大成長の限界が見えてきて、格差は今また広がっています。しかし、大資本による再開発やスクラップ・アンド・ビルドは、本当に素晴らしいラグジュアリーなのでしょうか。単にお金をかけるということではない、建築的で本質的なラグジュアリーを考えることが重要だろうと思います。「ぐるぐる資本論」的にもボトムアップの本質的なラグジュアリーを実現することによって、もう一度建築の問題として資本と小さな活動をつないでいく可能性を感じます。

連:

今日は、「ぐるぐる資本論」の可能性を考える場所として日本がその実験場になり得るというのは勇気づけられる話でした。ここにある事例は、世界的なパイオニアなのかもしれません。また、建築の専門家は、マテリアルの唯一性、その時その場所にしかない課題への反射神経や身体能力、感性を鍛えていく必要がありますね。社会性をもったプロジェクトほど、新しい美学が必要なのだと改めて強く思いました。

文責:富井雄太郎(millegraph) 服部真吏
撮影(特記なし):富井雄太郎
サムネイル画像イラスト:荒牧悠
[2023年12月5日 東京大学工学部1号館建築学専攻会議室にて]

吉良森子(きら・もりこ)

1965年東京生まれ。1989年早稲田大学大学院在学中、デルフト工科大学留学。1990年早稲田大学大学院理工学研究科建設工学建築学専攻修了。1992−96年ベン・ファン・ベルケル建築事務所勤務(現・UN studio)。1996年アムステルダムにて建築事務所設立。1998−2002年オランダ住宅・国土開発・環境省建築局勤務。2004−10年アムステルダム市美観委員会委員。現在、九州大学教授、明治大学特別招聘教授、神戸芸術工科大学客員教授。

加藤耕一(かとう・こういち)

1973年東京生まれ。1995年東京大学工学部建築学科卒業。2001年博士号取得(東京大学大学院工学系研究科建築学専攻)。2004−06年パリ第IV(パリ=ソルボンヌ)大学客員研究員。近畿大学工学部講師を経て、2011年東京大学大学院工学系研究科准教授。2018年同教授。

連勇太朗(むらじ・ゆうたろう)

1987年生まれ。明治大学専任講師、NPO法人CHAr(旧モクチン企画)代表理事、株式会社@カマタ取締役。主なプロジェクト=《モクチンレシピ》(CHAr、2012)、《梅森プラットフォーム》(@カマタ、2019)など。主な作品=《2020/はねとくも》(CHAr、2020)、《KOCA》(@カマタ、2019)など。主な著書=『モクチンメソッド──都市を変える木賃アパート改修戦略』(学芸出版、2017)。
http://studiochar.jp

このコラムの関連キーワード

公開日:2023年12月26日