「建築とまちのぐるぐる資本論」取材 5

生存戦略がブランドになった時──上勝町後編

田中達也(聞き手:連勇太朗)

Fig.1: 上勝町ゼロ・ウェイストセンター内、ごみステーションのストックヤード。Fig.1: 上勝町ゼロ・ウェイストセンター内、ごみステーションのストックヤード。上勝町にはごみ収集サービスがないため、生ごみは各家庭でコンポストを利用し、資源ごみは住民たち自らがごみステーションに持ち寄り、分別する。ホテル宿泊者も同様に、宿泊中に出たごみをこの集積所で分別。

「建築とまちのぐるぐる資本論」の取材第5弾は徳島県・上勝町へ。後編は、中村拓志/NAP建築設計事務所による設計で知られる「上勝町ゼロ・ウェイストセンター」の発起人・田中達也さんへインタビュー。2011年より上勝町のまちづくりに携わり、マイクロ・ブルワリーを立ち上げるなど10年以上にわたって上勝町の架け橋になってきた。 人口1,400人弱の決してアクセスが良いわけではないこのまちに、2022年度は国内外から99,249人が訪れたという。特別な観光資源をもたなかったまちをどうやって差別化したのか。上勝町ゼロ・ウェイストに転機をもたらした仕掛け人にそのアプローチと戦略を伺った。

ここにしかないものがない町

連勇太朗(以下、連):

田中達也さんは2020年に完成した上勝町ゼロ・ウェイストセンターの企画発起人であり、それに先駆けてゼロ・ウェイストをコンセプトにしたマイクロ・ブルワリー、RISE & WIN Brewing Co. BBQ & General Storeを上勝町で立ち上げ、代表も務められています。まず、田中さんが上勝町に関わるようになった経緯を教えてください。

田中達也(以下、田中):

私と上勝町のご縁は東輝実さんのお母様、東ひとみさんとの出会いから始まりました。東ひとみさんは上勝町役場に1980年から勤務されていて、当時、産業課にいらっしゃいました。私のことは、おそらく経済産業省のビジネス賞を受賞した「生きている海苔」を通して知ったのではないかと思います。
2011年に東さんにお声がけいただき、初めて上勝町に行きました。当時、上勝町は電力自給を模索しており、小水力発電の可能性を調査していました。再生可能エネルギーの固定価格買取制度(FIT制度)の施行直前だったということもあり、再エネ事業の立ち上げを民間企業に委ねたいとの相談だったと記憶しています。
2003年に上勝町はゼロ・ウェイスト宣言をしていましたが、当時は経済を優先すべきだという考えが主流で、環境やごみをまだ自分事にできなかった時代です。「小さな自治体で高齢者の多い上勝町だから協力してもらえるのでしょう」と言われることも多く、本格的なゼロ・ウェイストのブランド構築にまでは達していませんでした。

連:

その頃、田中さんはどのような活動をされて、どんなことを考えていたのでしょうか。

田中:

私は当時も現在も、1970年に徳島市で父が創業したバイオラボラトリー、株式会社スペックの代表を務めています。学校や福祉施設の給食センターなど食の安全性に関わる衛生検査や栄養分析、コンサルティングを行っています。地域には私の代になって、2000年頃から関わり始めました。
まちづくりの経験は上勝町に関わるまではありませんでしたが、食品メーカーだけではなく生産者からの相談も少なくありません。お付き合いのある一次産業従事者から相談があれば、それに応じてビーチクリーン、寺社の清掃活動、生産者の六次化のサポートなど、自分たちができることを提案してきました。構造的なことは変えられないけれど、課題を一緒に考えることはできるのではないかと思っていました。

連:

上勝町の第一印象はいかがでしたか。

高橋:

正直、難しいという印象をもちました。東ひとみさんと上勝町の議員さんに連れられて、まちを見ました。「山の景色がきれいでしょう」とか「そのまま掬って飲めるほどの川の水です」と紹介されても、隣町でも同じです。棚田が広がる場所も日本全国にありますし、ここにしかないものがありませんでした。
案内の最後に「観光地というわけではないんだけど」と言われながら訪れたのが、 日比ヶ谷 ひびがたに ごみステーションです。衝撃を受けました。当時のごみステーションはプレハブの掘っ建て小屋で、建設現場の事務所に使っていたものを転用していました。既に老朽化し、廃棄されたおむつは異臭を放っていました。分別も現在は13品目45種目分別で実際にはもっと細かく分類されていますが、当時は34分別。紙類の分別や資源化は未着手でした。もっと分別を細かくしていきたいけれど、そのためのスペースが足りないという課題も抱えていました。
ごみは普通、人に見られたくないものですが、ゼロ・ウェイストに興味をもった視察団はそれを見学するために訪れてくるので、町民のプライバシーを守りつつ、外部からの視察者の動線を明快に分ける必要がありました。
そうした問題はありましたが、これこそ他のまちにないもの、できないことだと感じました。ただ当時は、徳島出身の私ですら知りませんでしたし、ごみをまちおこしの契機にしようなんて誰も想像しなかったことで、上勝町は純粋な気持ちで町民たちが集積所に持ち寄った資源ごみの分別を推進していました。これはうまく発信した方が良いと思い、新しいごみステーションのあり方をすぐに提案させてほしいと言って、2012年に素案を提出しました。

Fig.2: スギ林に囲まれた上勝町ゼロ・ウェイストセンター。右手前がホテル棟。上勝町は徳島市内から車で1時間ほど、勝浦川の上流に位置する。町の総面積の88%が山林で、そのうち約80%がスギなどの人工林Fig.2: スギ林に囲まれた上勝町ゼロ・ウェイストセンター。右手前がホテル棟。上勝町は徳島市内から車で1時間ほど、勝浦川の上流に位置する。町の総面積の88%が山林で、そのうち約80%がスギなどの人工林。

ポジティブな感情を呼び起こす仕掛け──できたての生ビール、バーベキュー、かっこいい建築

連:

田中さんが上勝町のゼロ・ウェイストをブランド化する価値があるものとして見出したのですね。2012年に提出された素案はどのような内容でしたか。

田中:

当時、上勝町の人口は1,700人で2020年には人口が1,000人を割り込むという試算でした。町から村になると地方交付税が支給されなくなり、これまで通りの管理ができなくなってしまいます。人口減でできないことが増えているのが問題で、ごみの分別や再生エネルギーは今取り組むべき最重要課題ではない。まず、過疎をどうにかしないといけないというのが私の提案の核心でした。
過疎を解決するためには移住者を増やすこと、そのためには上勝町に足を運んでもらわないといけませんので、ごみステーションが体現しているような、ここにしかないゼロ・ウェイストの取り組みを積極的に見せる必要があると主張しました。さらにゼロ・ウェイストを深く理解してもらうには、ごみの分別を見せるだけでは不十分で体験が必要だと感じました。宿泊時に出たごみを上勝町民にならって分別することで、普段は考えることすらない行動の先に、ごみは自分事であるという気づきを得られるのではないかと思いました。ホテルはそうした滞在者を受け入れることができ、移住や長期滞在のイメージも喚起します。また、新しいごみステーションはもちろん公共の施設ですが、健全に持続的経営ができる組織が運営を担うべきで、そのために原資となる経済活動の源が必要だと考えました。
我々だけではそういった新しいプラットフォームを実現できないと思ったので、色々な人に声をかけ、プロジェクトの全体ディレクションはトランジットジェネラルオフィスの岡田光さん、プロジェクトデザインはトーンアンドマターの広瀬郁さん、設計は中村拓志さん、グラフィックはDIAGRAMの鈴木直之さん、我々は地域とプロジェクトチームをつなぐコーディネートを担当しました。2017年、ゼロ・ウェイストブランドを活用したまちづくりの基軸となる施設の建設が始まり、2020年に上勝ゼロ・ウェイストセンターが完成します。ごみステーションに関しては、意匠こそ異なりますが、プログラムは提案とほぼ同じです。

Fig.3: 上勝町ゼロ・ウェイストセンター。Fig.3: 上勝町ゼロ・ウェイストセンター。
Fig4: 同センター内くるくるショップ。地元の小学生が起案し、2006年にスタートした無料のリユース拠点。まだ使えるが不要になった食器や衣類、雑貨などが並ぶ。持ち帰りは誰でも可能で、持ち帰る際に重さを計測。Fig4: 同センター内くるくるショップ。地元の小学生が起案し、2006年にスタートした無料のリユース拠点。まだ使えるが不要になった食器や衣類、雑貨などが並ぶ。持ち帰りは誰でも可能で、持ち帰る際に重さを計測。
Fig.5: 同センターのホテル客室。Fig.5: 同センターのホテル客室。

連:

過疎という問題から、なぜゼロ・ウェイストセンターやブルワリーというソリューションに辿り着いたのでしょうか。

田中:

上勝町は街道沿いではないので、ついでに立ち寄る場所ではなく、温泉があるとはいえ徳島市内から同じ1時間をかければ人気の温泉地に行けますし、林業に携わる人以外は行く理由がありませんでした。中途半端な目的はダメだからこそゼロ・ウェイストは有効で、人を惹きつけるものにしなくてはいけません。
でもどうでしょう、かっこいい建築でできたての生ビールが飲めて、バーベキューができるなら、友だちや家族を誘って行きたくなりませんか。おいしい、楽しいといったポジティブな感情に訴えかけるコンテンツが必要だと思いました。
上勝ゼロ・ウェイストセンターとブルワリーは共通したコンセプトで、滞在を通してゼロ・ウェイストを体験していただく施設です。ブルワリーは上勝ゼロ・ウェイストセンターをちゃんと実現するため、自分たちがやろうとしていることは何なのかを示すために企画しました。言葉を並べるより見たうえで判断してください、という意味で提示したので、まちには受け入れてもらったと理解しています。

連:

中村拓志さんは上勝ゼロ・ウェイストセンターで日本建築学会賞(作品)を受賞しましたね。実際に現地を訪れてみて、とてもクオリティの高い施設が実現していると思いました。反応はいかがでしょうか。

田中:

定量評価では、センターができる前は年間2,000人程度が視察に訪れていましたが、センターができた2020年以後は年間約20,000人です。観光客を含むと2022年度は99,249人が上勝町を訪れました。ここ最近は自分たちも本気でやりたいとか、どういう困難があったのかを知るため、問題を理解するために足繁く通う人々が増えています。

Fig.6: 「RISE & WIN Brewing Co. BBQ & General Store」外観。写真提供:RISE & WIN Brewing Co.Fig.6: 「RISE & WIN Brewing Co. BBQ & General Store」外観。写真提供:RISE & WIN Brewing Co.
Fig.7: ブルワリー内の量り売りショップ。写真提供:RISE & WIN Brewing Co.Fig.7: ブルワリー内の量り売りショップ。写真提供:RISE & WIN Brewing Co.
Fig.8: バーベキューのエリア。写真提供:RISE & WIN Brewing Co.
    Fig.8: バーベキューのエリア。写真提供:RISE & WIN Brewing Co.

変わらない大切なもの

連:

交流人口や視察の人が増えている点は説得力がありますが、地域住民との関係はどうでしょうか。

田中:

私自身は東さん親子とは違って上勝町の出身者ではありませんが、暮らしの実態は経験していなくても、徳島県出身で10年以上、上勝町に関わり、四国での土地柄や都市の暮らしも把握しています。
当初から、まちの人たちのために都市の人とまちの人をつなぐ通訳者が私たちだと考えてきました。デザインやライフスタイルを掛け合わせながら田舎暮らしが楽しそうなイメージをつくりつつ、地域の人へはどうしたら都市の人たちが繰り返し訪問したくなるようなもてなしができるかを伝え、産業化するのが私たちの役割です。
最近、うちの会社の若いスタッフが上勝町へ移住するケースも増えています。新規で採用する時も濃密な関係に耐え得る人材の採用を心がけていますし、若い人は地域に溶け込むのがとても上手です。

連:

田中さん個人の地域活性に対する関心はどのように芽生えたのでしょうか。

田中:

最初は、阿波踊りです。産業が乏しいなかで、祭りは数少ない利権で問題もありますが、阿波踊りが多くの人を魅了し縁を結んでくれるのは事実です。
家業を継ぐために久しぶりに徳島へ帰ってきた時に見た、寂れた光景も目に焼き付いています。私が子どもの頃は、母の手を離すと迷子になってしまうほどアーケードに人が溢れていました。かっこいい大人も沢山いて賑やかなまちだったのに、大型ショッピングモールに人が流れ個人商店が続々と潰れた結果、シャッター街と化しました。それまで自分たちの生活に必要なものは自分たちの生活圏で工面してきましたが、本州とつながったことで流通が盛んになり、それも壊れてしまいました。
郊外の衰退も甚だしいです。私は吉野川下流の漁村の生まれですが、漁師の家はおおらかで開けっぴろげ。毎晩ご馳走がテーブルに並べられ、近所の皆に振る舞われていました。それが今は家庭で料理する人が減り、加工品を持ち帰る人が増え、加工用の安いものしか売れなくなり、漁師の身入りになるような商品が売れなくなりました。それに準じて、漁の担い手も激減しました。社会全体でパラダイムシフトが起きていることを強く感じます。

Fig.9: オンラインでインタビューに答えてくださった田中達也さん
    Fig.9: オンラインでインタビューに答えてくださった田中達也さん

連:

田中さんは、ブランディング、デザイン、プロモーションと複雑な職能を有していますが、ご自身の独自性はどこにあると思いますか。

田中:

私は新しいもの好きで、様々な文化に触れ、広く浅く吸収するのが得意です。若い頃に地元を飛び出しアパレル業を営むなかで、海外を見て回り色々な人と縁を築くことができました。本業の検査においても、上勝の仕事においても、ネットワークをつくることが最も大事です。

連:

最後に、これからのヴィジョンをお聞かせください。

田中:

ゼロ・ウェイストをベースにしたまちづくりが過疎に対する有効なアプローチだと思います。ごみは世界的な問題ですから、上勝町が取り組んできたことが世界に広まると良いと思います。環境問題は教育も大事なので、上勝町に来れば上勝町のステークホルダーに話を聞くことができるパッケージをつくろうとしています。企業の新人研修などに利用してもらえたら幸いです。
いつも考えているのは、中村拓志さんをはじめ引く手数多の人たちをいかにこの上勝町に引き止めることができるかですが、やはり最強のコンテンツは祭りです。私たち地元の人間にとっては当たり前のことですが、浴衣を着せて、にわか連で踊らせると、たちまち虜になってしまいます。そういう姿に触発されて最近、自分たちで連も結成しました。最優良桟敷席も確保できますし、毎年踊れます。世界中から人々を惹きつけるものだから、独占や寡占は御法度。みんなで盛り上げていかなければならないと思っています。

文責:服部真吏 富井雄太郎(millegraph)
撮影(特記なし):富井雄太郎
サムネイル画像イラスト:荒牧悠
(2023年10月11日 オンラインにて)

プロフィール

田中達也(たなか・たつや)

1969年生まれ。徳島市出身。検査・分析を通して食の安全安心を側面からサポートする株式会社スペック代表。地域の課題をテーマとした事業に関わったことがきっかけで、徳島・上勝町の活動に携わる。2015年、町が取り組む環境活動「ゼロ・ウェイスト」をわかりやすく理解するための取り組みとして、クラフトビールの醸造所「RISE&WIN Brewing Co. BBQ&General Store」を立ち上げる。2016年、東京・東麻布に「RISE&WIN Brewing Co. KAMIKATZ TAPROOM」をオープン。2017年、第2醸造所とバレル庫、イーストラボを備えた複合施設「STONEWALL HILL CRAFT&SCENCE」を開設。2020開業の「上勝町ゼロ・ウェイストセンター(WHY)」の設立プロジェクトメンバー。

連勇太朗(むらじ・ゆうたろう)

1987年生まれ。明治大学専任講師、NPO法人CHAr(旧モクチン企画)代表理事、株式会社@カマタ取締役。主なプロジェクト=《モクチンレシピ》(CHAr、2012)、《梅森プラットフォーム》(@カマタ、2019)など。主な作品=《2020/はねとくも》(CHAr、2020)、《KOCA》(@カマタ、2019)など。
主な著書=『モクチンメソッド──都市を変える木賃アパート改修戦略』(学芸出版、2017)。
http://studiochar.jp

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公開日:2023年10月31日