「建築とまちのぐるぐる資本論」取材 5

自治としてのゼロ・ウェイスト──上勝町前編

東輝実(聞き手:連勇太朗)

Fig.1:カフェ・ポールスター外観。

「建築とまちのぐるぐる資本論」の取材第5弾は徳島県・上勝町へ。徳島空港から車で1時間ほどの山間部にある上勝町は、総面積の88%が山林、高齢者が住民の約半数を占める人口1,400人弱の自治体。2003年に日本で最も早くゼロ・ウェイストを宣言し、目標の2020年までに焼却・埋め立て処分をゼロに近づける目標を掲げた。過疎化・高齢化問題が急速に進み、回収サービスが提供できず、ごみの処理に悩んできた小さな自治体がその生存戦略として地道にコンポストや分別を推進。その結果、リサイクル率は80%以上を達成。国内外から多くの人々がまちに訪れるようになった。建築界では、「上勝町ゼロ・ウェイストセンター」(設計:中村拓志/NAP建築設計事務所)がよく知られている。
前編は上勝町のまちづくりに幼い頃から参加し、上勝町のゼロ・ウェイストと共に歩んできた東輝実さんからお話を伺った。ゼロ・ウェイストを通して、住民が幸せに暮らせる仕組み、自治のあり方について一緒に考えたい。

上勝町の35年間

連勇太朗(以下、連):

日本全国でも最も環境意識の高い自治体のひとつとして知られる上勝町で生まれ育ち、現在も活動されている東さんはどのように上勝町を見てこられたのでしょうか。2003年に日本で初めてゼロ・ウェイスト宣言から20年経ち、目標年であった2020年には「上勝町ゼロ・ウェイストセンター」が完成しました。どんな変化を感じていますか。

東輝実(以下、東):

2018年頃からサステナビリティやSDGsという言葉が浸透し始め、海外からの訪問客が一気に増えました。コロナ禍を経た2021年以降は、ゼロ・ウェイストセンターが日本建築学会賞を受賞したのも大きなきっかけかもしれませんが、上勝町に訪れる建築関係者が急増しています。どうしてだと思いますか。

連:

この「ぐるぐる資本論」のテーマにも関わるところですが、建築を取り巻く価値観が大きく変わり始めているからかもしれません。これまでは形をデザインすることが建築家の主な職能だと思われてきましたが、現在は設計の背景や前提に対する問いを多くの建築関係者がもち始めています。上勝町には、持続可能な地域社会をつくっていくヒントがあると感じられるのではないでしょうか。まずは東さんの自己紹介からお願いできますか。

東:

私は1988年生まれで、ゼロ・ウェイストやまちづくりが身近な環境で育ってきました。ごみ問題や環境問題に関心を抱くようになった背景には、母の存在があります。母は町役場の職員で、上勝町のゼロ・ウェイストに初期から関わり、メタン発酵の実証実験やソーラーパネルの補助金制度をつくったり、資源の循環に関心をもっていました。
小学校3年生の時には母と一緒にデンマークのリサイクルの現場を見に行きました。上勝町に最初のリサイクル品回収拠点、 日比ヶ谷 ひびがたに ごみステーションができた頃です。現在、ゼロ・ウェイストセンターが建っている場所にそのごみステーションはありましたが、1974年頃から県道工事の残土処理場にごみが不法投棄され始め、20年以上野焼きが続いていました。早く止めないと危険だという意識は町役場にもあるものの、当時購入したばかりの焼却炉もダイオキシン問題で処分せざるを得ず、財政的な余裕がありませんでした。生ごみは各家庭のコンポストで処理して焼却ごみは減らしていこうと、母も担当者として分別方法や引き取り先の調整に奔走していました。今思えばプロモーションの一環だったのかもしれませんが、その時代から、私は妹と弟と一緒に冬の寒い日も道端で空き缶を洗っていました。
中学生の時にはGO美箱バーゲンというフリーマーケットにも参加したり、自ずとどうしたら上勝町の役に立つだろうと考えていました。大学では地域の持続性を高めるための「カフェ」という場所づくりについて卒論を書き、2011年に上勝に戻った後、2013年にカフェ・ポールスターをオープンさせました。

連:

カフェ・ポールスターは上勝町を町内からも町外からもお客さんが訪れているようですね。どのような構想でつくられたのでしょうか。

東:

将来、上勝町には世界中から沢山の人が来るようになるから、そのときにおもてなしができるようなサロンをつくりたいと母がずっと言っていました。残念ながら母はオープン直前に亡くなってしまうのですが、遺志を引き継ぎ、人・物・情報が集まる上勝のショールームを目指しました。
ちょうど私が上勝町に帰ってきた頃、「上勝町に来て30秒で暇になった」というようなつぶやきをネットで見ました。公共交通機関の利便性が悪く、唯一ある産直市場のカフェも2時半で閉まってしまいますから。同時に、テレビでイタリアの田舎の島のおじいちゃんが昼からビール飲んで「このまちは2週間いても飽きないよ」と言っていたのを見て、私のまちもただ滞在できる場所があれば良いのかもしれないと思いました。
どこにも行くところがないと言う人がいる一方で、私たちが好きな上勝町をシェアしようと思うと1時間では足りません。どれだけ長く上勝町に滞在してもらえるかという問題をもっと考えたくて、2020年7月より上勝町滞在型教育プログラム「INOW」を仲間と共に開発しました。

連:

手応えは感じていますか。

東:

カフェはやっていて良かったと思います。やめようと思ったこともありますし、私たちはカフェをやりたかったわけではありませんが、地元の常連さんも増え、10年前には上勝になかったカフェ文化が根付いていることを誇らしく思います。
INOWは2020年7月にスタートし、これまでに約157名が参加してくれました。そのうち88名が2週間から3ヶ月未満の長期滞在です。プログラム参加者の9割は海外からのお客様ですが、このサービス開始以前には上勝に英語が対応できる窓口がありませんでした。2024年はプログラムをリニューアルする予定で、鋭意準備中です。

Fig.2:東輝実さん(右)と連勇太朗さん(左)。カフェ・ポールスターにて。

ゼロ・ウェイストはまちの生存戦略だった

連:

ゼロ・ウェイストの取り組みについてはどうでしょうか。

東:

2015年4月から2018年3月まではNPO法人ゼロ・ウェイストアカデミー(ZWA)の事務局長を務めていました。ZWAは2020年までに焼却・埋め立て処分をゼロに近づけるという目標を達成するため、世界中から知見や仲間を集めることを目的に2005年に組織されました。2015年から2020年は「雑巾を絞り切る」と花本町長が喩えていますけれど、目標に向けて切羽詰まった状態でした。ごみだったものがそうでなくなること自体は非常に興味深いことですが、突き詰めていくと「明日からティッシュ禁止」とか「使う洗剤は環境影響が少ないものに限る」とか、なんだか宗教じみていくし、目指す方向性にワクワクも感じられなくなりました。いつの間にか100%やゼロに固執した定量的な取り組みに陥っていて、正直、2020年頃はゼロ・ウェイストを続けることがすごく嫌になっていました。
そこでやっと過去を振り返り、世界で最初にゼロ・ウェイスト宣言したオーストラリアのキャンベラは、ごみから解放される社会「フリーウェイスト」を目指していたことを知ります。当初は上勝町も自分たちでエネルギーを需給する可能性を考えたり、未来に対してもっとクリエイティブに向き合っていました。私はいつも上勝のためを考えてきたつもりですが、ゼロ・ウェイストを再考するなかで、私自身は母が思い描いていた未来や社会に共感し、それをやり遂げたいと思っていることに気がつきました。

連:

大義名分を言わなくても、自分の好きなことを自分の好きな仲間とやり切った方が、結局まちのためになることもありますよね。東さん自身は、ゼロ・ウェイストをどう定義しますか。

東:

私が興味をもっているのは、上勝町で生まれた文化としてのゼロ・ウェイストです。上勝町のゼロ・ウェイストは上勝町の豊かさやここに暮らす人々の幸福につながっているべきで、侘び寂びなど日本の伝統的文化や価値観のうえで解釈できるはずです。
2021年にはゼロ・ウェイストの定義を見直すため、合同会社RDNDが上勝町からゼロ・ウェイストタウン計画策定事業を受託しました。町民に「ゼロ・ウェイストって何ですか」と尋ねると、「ごみゼロだ」と答える人もいれば、「晩茶ですね」と言う人もいたり。もし晩茶がゼロ・ウェイストに関わっているとすれば、例えば上勝町の晩茶農家が最低5軒残っていることがゼロ・ウェイストの指標になるなどの可能性が出てきます。
元を辿れば、上勝町のゼロ・ウェイストは産業ではなく、地域の生存戦略でした。分別協力や負担軽減もいわば福祉や教育です。自分たちの暮らしを守るためのルールをつくること、本来の意味で自治につながっています。

観光は搾取なのか? 町内VS町外

連:

上勝町にはどんな特徴があるのでしょうか。一見すると、上勝町のブランディングはヴィジョン・ドリブンに見えますし、なかなかプレイヤーの相関図や全体像が把握しづらいように思います。

東:

一般的に環境系の取り組みは市民活動の突き上げから始まる場合が多いですが、上勝町のゼロ・ウェイストはトップダウンで始まりました。これはかなりユニークだと思います。
もうひとつの特徴は、上勝町のキープレーヤーに女性が多いことです。ZWAの創業メンバー中山多與子さんや、初代ZWA事務局長の松岡夏子さんなど。今も私含め、上勝町ゼロ・ウェイストセンターを運営しているBIG EYE COMPANYの大塚桃奈さん、上勝町に本店をもつブルワリーRISE & WIN Brewing Co.の店長池添亜希さん、町内で不要になった衣類・布類をリメイクする専門店くるくる工房の運営など上勝の地域の皆さんとのコミュニケーションを担う一般社団法人ひだまりの藤井園苗さんも女性です。
ごみは普段から家庭内で女性が携わることが多いでしょうし、丁寧な暮らしも女性の方が関心をもちやすいため、女性の活躍の場所が多かったと言えるかもしれません。

Fig.3:上勝町ゼロ・ウェイストセンターを案内してくださった大塚桃奈さん。

連:

今、どんな課題や悩みがありますか。

東:

上勝町は地域の経済循環をつくることが大事だと思います。ゼロ・ウェイスト宣言から20年経ち、ゼロ・ウェイストの取り組みに価値が生まれたからこそ、その価値から派生した仕事や雇用、外部からの需要に対応するため、お金について考える必要が出てきました。例えば上勝町にはたくさんの観光客や視察者が訪れますが、そうしたまちに対する注目度に比べて、具体的に進んでいる企業との連携は少ないです。
また、地域では必ずしも通貨が最も優先されるコミュニケーションの手段であるとは限りません。草刈りの対価として3万円を払うより、一升瓶2本の方が適切な場合もあります。お金がその人の幸せに結びつかない場合、何のためにお金を稼ぐのか、その人やまちを幸せにするためには、どうお金が回ればいいのかを考えないわけにはいきません。
INOWプログラムもそうなのですが、どうしても町民の暮らしを非日常として商品化せざるを得ない部分があり、心苦しい時があります。もちろんレクチャーや農場見学に対価として報酬をお支払いすることはできますが、それは単純に観光としての受け入れで、地域文化の持続につながっているとは言えないと思っています。

連:

なるほど。そうした非対称的な感じがぬぐい切れないし、経済的循環に悩まれているのですね。現在はどのような取り組みをされているのでしょうか。

東:

現在、町内と町外の情報交換や対話を促すため、2018年からゼロ・ウェイスト推進協議会で集まっていた仲間を中心にゼロ・ウェイスト推進協議会事務局を組織しようとしています。
これまでは敵対や分断が起こりやすい状況が続いてきました。新しい雇用がまちに生まれても、サービス就業者は土日祝日は仕事をしているので、お寺の掃除や草刈り、地域の清掃ボランティアには参加できず、地域住民の要望には応えられません。また、外の人は「上勝町がやってほしいことをやります」とか「上勝町の課題を明確に提示してください」というスタンスですが、私たちとしては一緒に悩んでもがき苦しみながら、未来をつくってくれる仲間がほしいです。
上勝町に住んでいなくとも、上勝町のことを理解してくれる人が増えてきたのは希望です。人口が1,400人を切ろうとしている段階で、向こうとこっちなどと言っている場合ではありません。今こそ新しく組織をつくって、情報交換や役割分担、協力をしたいです。上勝町と一緒に考えてくれる仲間づくりは私たちがこれからもやらなければいけないことです。

文責:服部真吏 富井雄太郎(millegraph)
撮影:富井雄太郎
サムネイル画像イラスト:荒牧悠
[2023年9月4日 カフェ・ポールスターにて]

東輝実(あずま・てるみ)

徳島県上勝町出身。関西学院大学総合政策学部在学中よりルーマニアの環境NGOや、東京での地域のアンテナショップ企画のインターンを経験。大学卒業後、上勝町へ戻り合同会社RDNDを起業。2013年「五感で上勝町を感じられる場所」をコンセプトに「カフェ・ポールスター」をオープン。2020年ゼロ・ウェイストをベースとした上勝町滞在型プログラム「INOW(イノウ)」を共同創業者としてスタートさせる。2021年上勝町よりゼロ・ウェイスト計画策定事業を受託し計画策定に携わる。その他、上勝町ゼロ・ウェイスト推進員、上勝町総合戦略会議委員をつとめる。

連勇太朗(むらじ・ゆうたろう)

1987年生まれ。明治大学専任講師、NPO法人CHAr(旧モクチン企画)代表理事、株式会社@カマタ取締役。主なプロジェクト=《モクチンレシピ》(CHAr、2012)、《梅森プラットフォーム》(@カマタ、2019)など。主な作品=《2020/はねとくも》(CHAr、2020)、《KOCA》(@カマタ、2019)など。主な著書=『モクチンメソッド──都市を変える木賃アパート改修戦略』(学芸出版、2017)。
http://studiochar.jp

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公開日:2023年10月31日