「建築とまちのぐるぐる資本論」取材 2
小さな経済とメンバーシップの建築化
能作淳平(聞き手:連勇太朗)
メンバーシップのなかで建築をつくる「さんごさん」
連:
順調なのですね。旧来の設計事務所的な思考によって能作さんの精神的な部分がマイナス側の方向に働き、変化をもたらしたというお話でしたが、同時期の仕事として長崎の離島で地域拠点をつくる「さんごさん」というプロジェクトがありますよね。このプロジェクトも「富士見台トンネル」に至るうえで大きな影響を与えているように思うのですが、いかがでしょうか。
能作:
「さんごさん」は2015年に依頼され、2018年竣工なので長い時間かかっていますが、チームの一員として迎えてもらえた感覚がとても良かったです。「富士見台団地リノベーション」を雑誌で見たことをきっかけに、それまで見たこともない企画書のようなメールをクライアントからいただきました。敷地が遠方なので厳しいかなと思いながらも、実際にクライアントに会ってみるとすごくおもしろい人だったのでお引き受けしました。長崎出身で東京にお住いでしたが、先祖が五島列島の福江島出身というルーツがあり、よく友人をアテンドするので、古民家を改修して寝泊まりできるようにリノベーションしたいというシンプルな依頼でした。それだけだと使われない時間も長いので地元の人にも活用してもらうためヒアリングをしてみると、図書館が求められているとわかり、縁のある方々に「人生の3冊」を寄贈してもらうという特別な図書館を併設することになり、館長はクライアントの友人が着任しました。図書館は収益性がないので、他にコーヒーを売ろう、珊瑚でジュエリーをつくろうなどといった企画が立ち上がり、与件が複合施設に変わっていきました。
元々はクライアントから始まりしたが、地元の人から遠方の人まで関係者がどんどん増えていき、僕の事務所としてもスタッフに現地滞在してもらうことにしました。設計料と出張費を考えると、住んでもらうしかなかったのです。おかげで地元のネットワークもより広がり、地域特有の資材なども教えてもらいながら進めることができました。常駐スタッフの石飛亮さんはその後独立して福江島でたくさんの仕事をしていますし、僕も福江島でこれまで4件の設計をしました。
連:
地域への深いコミットがあったのですね。反面、大変なこともありそうですが、何がそこまで能作さんを惹きつけたのでしょうか。
能作:
仕事を淡々と手戻りがないように進めていくのではなく、進んだり戻ったりをぐるぐる繰り返して結局3年もかかりましたが、まったく辛くなくて、人の関係性がアクティブに動き続けていくことがとてもおもしろかったのです。もう普通のクライアントワークをやめてこういった仕事に専念したい、という気持ちが強くなっていましたが、そればかりではマネタイズが難しくなってしまいます。「さんごさん」はたまたま巡り合ったプロジェクトでしたが、このような方法をいかに継続的にやれるかをずっと考えていました。
現代版都市計画としてスケールを目指す「みんなのコンビニ」
連:
クライアントワークで疲弊して事務所の経営でもやもやしていた一方で、まったく違うタイプの仕事として「さんごさん」があり、その後の方法の可能性が開かれたのですね。
能作:
その後、方法として組み立てようとしたのが「富士見台トンネル」と「みんなのコンビニ」です。当初はチェーン展開も目論んでいた「富士見台トンネル」は、良くも悪くも自分がいないと成立せず再現性がないとわかったので、こうした働き方やそれができる環境を他のまちにも増やしていくこと、スケールさせることを目的として別ブランド「みんなのコンビニ」を立ち上げました。
国立市の第1号店の立地は、良い雰囲気の個人店が並ぶ富士見通りに面していて、「富士見台トンネル」以前から気になっていた物件でした。当初テナント募集はされていなかったのですが、ビルのオーナーさんを人づてに探し当て、インターホンを押して話を聞いてみると、設備が古くて募集していないということだったので、名刺だけお渡ししました。3年ほど経った頃、そのオーナーさんから募集が始まるという電話を直接いただき、すぐに自転車を走らせて即決で契約してしまいました。おもしろい場所で変わった形の物件なので、すぐに埋まってしまうと思ったからですが、具体的に何をやるかはまったく決めていませんでした。
スケールの課題に取り組もうと考え始めたので、ひとりでやるのは違うなと思い、不動産仲介やコンサルティングをやっているアラウンドアーキテクチャーの佐竹雄太さん、明治大学建築学科出身で国立市を拠点にまちづくりの仕事をしている三画舎の加藤健介さんと3人でチームをつくり、1年間ほど新事業について話し合いながら、株式会社を立ち上げました。
最初に目を付けた点は、キッチンがひとつしかないことによる1日ひとりの会員さんからしか賃料をいただけないという収益性の限界です。とはいえ「私のお店です」というひとり舞台でなければ店固有の魅力も消えてしまいます。キッチンを3つくらい置きたい気持ちから展開させたアイデアが「販売用の棚」です。みんなが売りたい物はバラバラでも、棚は色々並んでいることが価値になり、同時に稼いでくれます。また、コロナ禍で給付金などがあった飲食業に比べて、個人の小売りの人がどんどん閉業している状況をなんとかしたいという気持ちもありました。ローリスクで自分のやりたい小売りができる環境は、需要もあるだろうと予測しました。
お客さんに対しては、誰でも知っている存在でありながら何でも売っているという「コンビニ」がネーミングとして良いと思いました。
連:
「みんなのコンビニ」は、よりシステマティックなアプローチによってスケールさせることを目指したものなのですね。
能作:
「みんなのコンビニ」第1号店は、本店という立ち位置ですし自分たちが運営しているので特殊解ですが、今後のチェーン展開ではどこでも同じようなデザインで、ワンクリックで設計が終わるくらいの標準化を目指しています。
もうひとつスケールさせるための鍵はオンラインとの併用です。物理的な棚には限界がありますが、オンラインのコミュニティであれば理論的にはサイズの制限がないので、会員同士で舞台裏を共有するメディアとして、またノウハウを共有するコミュニケーションツールとして「みんなのコンビニバックヤード」というアプリケーションをつくりました。そこでは、ブランディングや商売について専門家にインタビューしていく動画も配信しています。
今「みんなのコンビニ」の会員は、会費の月額1万円の棚主さんが約20名、月額2,000円のオンライン会員が約30名で計50名ほどです。会員の傾向は「富士見台トンネル」とは違っていて、自分の店をもっていて販売先を増やしたいという人が多いです。
2店舗目のフランチャイズは僕の地元の高岡市で動き始めています。多分このモデルは地方の方がはまるはずだし、店舗が増えることで会員も増えていくのでよりおもしろくなると思います。フランチャイズ店では、最初のインストールのための設計料とコンサルティング料をいただき、オープン後の商品の売上は商品を売った会員に入ります。僕らは会員向けのサービスとしてオンラインコンテンツを提供しているので、オンライン会員費のみ頂戴します。会員が増えていけばその分収益が上がるという仕組みです。
なぜ僕のような建築家がスケールすることを考えているかといえば、ビジネスとして必要という意味もありますが、ひとつの拠点をつくるという建築的アプローチから都市計画・まちづくりへのスケールアップをやってみたいからです。1970年代頃から建築家はこの複雑化した都市を計画することが難しくなりましたが、インターネットも当たり前になった現代の新しい都市計画に関心があります。小さなハブが各地に点在しながら、インターネットによってネットワーク化されているという世界観です。
ノウサクジュンペイアーキテクツという個人を関した組織名にも疑問と限界を感じていて、今年中に改名して法人化しようとしています。法人のコンセプトは検討中で、ある種のスマートシティをつくる会社だという主張はしたいと思っています。既存の言葉であればまちづくり会社が一番適当なのですが、ソフトウェア開発やブランディング、バーチャルなコミュニティ運営もやるので、物足りなさがありますね。新しいジャンルを名付けるような組織名を考えています。
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公開日:2023年06月29日