住宅をエレメントから考える
〈塀〉再考──現代において塀は必要か
増田信吾(建築家)×齋藤直紀(慶應義塾大学助教)
『新建築住宅特集』2018年9月号 掲載
境界に乗っかる
ところで〈擁壁〉は塀と違って、土砂の流出を防ぐため土圧を受ける。建築基準法上でも扱いは違うが、境界を示し、公共との間にあり、街並みに参加する工作物であるため、今回は塀の一種として扱うこととした。「擁壁と屋根/対行政住宅」はその扱いの違いによる難易な条件に縛られた既存擁壁をうまく解きほぐしながら遺構に増築するような方法で、断絶された擁壁の街並みと生活を連続的な関係に変容させる。「G-house」の周辺住宅は、それぞれ敷地が低めの擁壁で立ち上がり、その上に住宅が乗っかる。それらと同様に低めの擁壁を施し、その上に家型のボリュームを乗っけている。異なるのは、擁壁に囲まれた敷地の大部分を道路レベルから半階ズレたところまで掘り下げ、斜面庭と開放的な部屋を設け、地下階としている。他の住宅は擁壁によって場所から切り離され遮断しているが、この住宅では、擁壁が塀となり、その中へ続く斜面庭が視線の交差を避けながら住宅地に立体的な関係を付加している。「擁壁上」は4m近くある高さの擁壁の上に斜めに振られた四角い住宅が、その斜めに振られた分だけ少し張り出して乗っかる。擁壁が少し斜行しているため、境界に乗り出す感覚で、外側へはみ出たところには大きな開口部が設けられ景色は浮遊感を持って遠くへ抜ける。「L」は、住宅であることが想像できないほど素朴な設えのコンクリートの塊りが、擁壁の上に乗っかる。駐車スペースを道路レベルに設けるため、擁壁が一部刈り取られ住宅がそこをまたぐ。そのため、何の建物なのかよく分からないものが置かれているということが強調される。そのよく分からないということが、この住宅と街並みを固定観念の境界や存在から自由に解放する。「擁壁のまちをつなぐ家」は山を切り開き造成された敷地の擁壁の一部を掘削し、分断されていた周辺とのレベル差を全方位で繋ぎ直している。削られた擁壁が、閉ざされていた敷地を開き、住宅内部の関係も含めて、たくさんの境界の交差が複雑な都市のように現れ、塀を概念的に超えている。
概念化する〈塀〉
現代の住宅や街並みに見られる敷地境界(塀)は、閉じるためだけに機能することに終始せず、構造物としての見え方にも決まりはない。何かと何かの間の境界として、とても抽象的な存在としての塀もたくさんある。「森山邸」は分棟型で、いわゆる塀はない。しかし配置される小さなボリュームたちや計画された植栽が目線を遮り、郵便ポストが境界を示唆する。住人が真っ白い外壁沿いに植木鉢を並べその役割もしている。「グリッド」は建物の構造柱、外構の木々、電気引込柱、洗濯物干しポールの脚などが、敷地全体に対してかけられたグリッドに配置され、グリッドの末端、道路境界は郵便ポストとインターホンによって、公共と私有の境界を端的に示す。細い路地に建つ「川崎の住宅」のオープンでありながら最低限のプライバシーを守る方法はとてもシンプルだ。この住宅の1階は接道面に対して全面が開く。その間の隙間にふたつ植栽が並ぶ。ひとつは目線を遮るような高さで、もう片方は入りにくくするための障害物として植えられ、近隣と適当な距離をとる塀に見える。そうなると角地の敷地境界ギリギリに建つ「ボクテイ」もその思考が見えてくる。隅切り部分にある窓辺の植木鉢が街角を飾り、通行人と距離をとる取り替え可能な塀なのか。「対角線の家」の塀は動く。住宅と庭が周辺に開くことと閉じること、その両方を可能にする。「A」は、道路に直行するように敷地が短冊状に分けられ、片側に門扉が設けられ、ふたつの敷地に見える。門扉が開けられた時は仮想の敷地境界を横断し、もう片側の敷地に納まり、それもまた塀に見え、敷地境界への認識が少し広がる仕掛けに感じた。おそらく「スウェー・ハウス」の外構は、窓を通した室内側からの景色としては効いていない。でも全体を低い植栽絨毯が覆っている。その道路との明確なエッジは、踏み込んではいけない印象を与える塀的な緩衝帯だ。同じような空気感を出す「昭島のハウス」は、「しめ縄」のようにチェーンを用いた敷地境界で、住宅という暮らしのかたまりを祀っているようだ。
超えられてゆく〈塀〉
こうして現代の住宅において塀は、構成する要素の中でもひときわ機能性に縛られず、概念化した領域をつくるものとして存在している。これは建築家が設計した住宅の塀に限ったことではなく、一般的な住宅地に通じている。身近な住宅地で採取した塀や敷地境界を見ていくと、興味を引くものは、境界が入り組んでいたり、住人が切実な応答をすることで領域をつくり込んでいる。時に敷地から洗濯物や日除けがはみ出たり、庭木や植木鉢に植えられた植物が塀をまたいだりもする。そういう暮らしにダイレクトに関係することが、曖昧なゆるい風景をつくっている。こうした塀の成り立ちはとてもアジア的で、特に日本的である。塀は英語でfenceもしくはwallと訳すが、fenceだと簡易な柵に近く、wallだと凝固な壁という意味になってしまう。たしかに前庭が大きく取れる海外の住宅地であれば、敷地境界で生活が外と干渉する必要性がないため、敷地を区切るためだけの柵として機能すればよい。そして外から中に入れないようにするための塀であれば壁で外と断絶することが分かりやすい。しかし日本は、細分化された小さな敷地と良好な治安のため、少しでも多く室内の延長や使える場所としようとしたりと、小さくてもよいから庭を豊かにする意識などによって、塀の機能性と必要性が宙ぶらりんとなり、その意味が曖昧に概念化し、それぞれの解釈で不揃いな街並みに成熟した。固有の人、固有の敷地、固有の家、固有の動植物、それぞれ固有の敷地境界が連なり共有され、適度な距離感があるぼんやりとした心地よい共同体としての愛らしい風景だ。
しかしその風景は、今まさに変わりはじめている。例えば外壁が閉じきった住宅が並び、移動するための車が置かれるだけといった風景。でもそうした住まいが本当の意味で生活に安全と安心を与え、これからの社会と共同体に先があるのか。守ることとは一体なんなんだろうか。家がある界隈を、その界隈がある地域を、そういった人間の暮らしを支える家ひとつではなし得ない連なりを紡ぎ出す塀は、これからの都市の風景にとってエレメントを超えた重要な概念ではないだろうか。
増田氏、齋藤氏が住宅地で採取してきた〈塀〉
建築陶器のはじまり館
やきものの街であり、INAXブランドのふる里でもある愛知県常滑市に設けられた、株式会社LIXILの企業博物館「INAXライブミュージアム」。その一角に、近代日本の建築や街を支えた「建築陶器」と呼ばれるタイルとテラコッタを展示する「建築陶器のはじまり館」がある。
「建築陶器のはじまり館」は屋外と屋内の展示エリアで構成され、屋外展示エリア(テラコッタパーク)では、「横浜松坂屋本館」(1934年竣工、2010年解体、設計:鈴木禎次建築事務所)のテラコッタや、「朝日生命館(旧常盤生命館)」(1930年竣工、1980年解体、設計:国枝博)の巨大なランタン、鬼や動物などの顔が壁面に10体並ぶ「大阪ビル1号館」(1927年竣工、1986年解体、設計:渡辺節建築事務所[村野藤吾])の愛嬌あるテラコッタなど、13物件のテラコッタが、本来の姿である壁面に取り付けた状態で展示されている。屋内エリアでは、フランク・ロイド・ライトの代表作のひとつとして知られる「帝国ホテル旧本館(ライト館)」(1923年竣工、1967年解体)の柱型の実物展示を中心に、明治時代につくられた初期のテラコッタから、関東大震災を経て1930年代の全盛期に至る、日本を代表するテラコッタ建築とその時代背景が紹介されている。このような、近代建築で実際に使用されたテラコッタを長年にわたり継続して収集・保存・公開してきたことなどが評価され、「INAXライブミュージアム」は2013年「日本建築学会賞(業績)」を受賞している。
また、「建築陶器のはじまり館」の建屋のファサードには、同ミュージアム内の「ものづくり工房」で製作されたテラコッタが使用されている。建築陶器の歴史的価値だけでなく、現代の建築におけるやきもの装飾材の可能性も体感できるため、屋内外をぐるりと散策しながら見学されてはいかがだろうか。
所在地:愛知県常滑市奥栄町1-130
tel:0569-34-8282
営業時間:10:00 ~ 17:00(入館は16:30まで)
入館料: 一般700円、高・大学生500円、小・中学生250円(税込、ライブミュージアム内共通)
※その他、各種割引あり
web:https://livingculture.lixil.com/ilm/terracotta/
雑誌記事転載
『新建築住宅特集』2018年9月 掲載
https://japan-architect.co.jp/shop/jutakutokushu/jt-201904/
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公開日:2019年10月30日