ウイルス・都市・住宅──変革の今、建築と人がもつべき想像力

西沢大良 × 乾久美子 × 藤村龍至

『新建築住宅特集』2020年8月号 掲載

2020年7月現在、いまだ世界は新型コロナウイルス感染症拡大の只中にあり、この事変以降、以前の日常を取り戻すのではなく、人びとの暮らしが急速に変革する時代に入ったといえます。それに対して建築は、ひとつの住宅だけの問題ではなく、住宅地や都市といったスケールを横断した思考が必要になるはずです。この先の具体策を考えるうえで、今回「ウイルス・都市・住宅」をキーワードにどのような課題があるのかを、藤村龍至さんをモデレーターに迎え、西沢大良さん、乾久美子さんと共に議論しました。

※文章中の(ex JT1603)は、雑誌名と年号(ex 新建築住宅特集2016年 3月号)を表しています。(SK)は新建築です。

今、どんな歴史を参照すべきか

新建築社青山ハウスでの座談会の様子。左から、藤村龍至氏、乾久美子氏、西沢大良氏。 撮影:新建築社写真部

藤村:

非常事態宣言が解除されてから3週間経ちますが、グローバルにネットワーク化され、激しく移動することが当たり前になった社会で人びとの移動を止め、住宅に閉じ込めるという非常事態を経て、これまでの社会や建築の成り立ちを見直す機会になりました。ポストコロナの建築を考えるうえでは特に住宅の変容は大きいはずで、具体的な提案が求められる中、今回はまず住宅を起点に状況の整理をしたいと思います。まずは新型コロナウイルスが及ぼした政策的・市場的な動きと住宅・都市との関連性を探りたいと思いますがいかがでしょう。

乾:

『新建築住宅特集』2020年6月号で西沢さんが指摘されていたように、歴史上、ウイルス感染症と都市計画は切り離せない関係にあります。世界で初めてワクチンが開発された炭疽菌は、1876年に初めて病原になることが証明されました。対して近代都市のモデルとして世界中に大きな影響を与えたパリ改造は1850年代の政策ですから、ウイルスの可視化以前の取り組みでした。つまり、パリの改造などの黎明期の近代都市計画は、ウイルスの姿や感染の仕組みが見えない中、経験則によって衛生的な都市を構想していたわけです。こうした過去に対して、現代では、ウイルスは瞬時に可視化されます。また、その症状や対策などの情報も素早く世界中で共有されました。日本では、主にクラスター対策によって感染を抑え込もうとしていますが、建築や都市などの物理的環境が変わる速度をはるかに越えて、対策が実施されていく様子が印象的でした。すごい処理速度で世界がウイルスと闘う、そうした中での計画とは、暗中模索で取り組んできた近代的な都市計画とはずいぶん意味が異なるように思います。

藤村:

2011年11月2日に東京大学で行われたシンポジウム「311 ゼロ地点から考える」で伊東豊雄さんが、福島原発事故による放射能の広がりに対して「建築で対処できることは何もない」とおっしゃていたことが思い起こされます。今回も、建築を越えたところでの政治的判断が影響力を持ちましたね。

西沢:

新型コロナウイルスは今のところワクチンや施薬がなく、感染メカニズムも十分に解明されていないので、今後も何度か感染拡大が起きてしまうと思います。その意味では的確な政治判断を期待しにくい状況ですが、この話題はどうしても、100、200年単位の街や住宅の変化を考えざるを得ないです。今の街や建物(近代都市と近代建築)のつくられ方は、18~19世紀にかけて工業国を苦しめた感染症(主としてチフスやコレラ)を解消するために発達したという側面があり、今回はそれがどこまで有効なのか、真正面から問われているという印象です。過去100年以上続いてきたわれわれの常識──たとえば上下水道を完備したインフラや、住宅地と業務地を区別するというゾーニングの考え方、また機能的な近代建築や近代交通(道路や鉄道)を整備するといった常識──の盲点をつくように、今年3月頃に近代交通の要である鉄道や船舶が危険視され、空港も港湾も閉鎖され、近代建築の典型であるオフィスや学校が閉鎖されるといったことが世界中で起きました。同時期に厚生労働省が「3密(密集・密室・密接)を避けよ」という指針を市民向けにアナウンスしましたが、あれも聞き方によってはCIAM(近代建築国際会議)批判、ないし近代建築批判・近代都市計画批判のように聞こえました。こうしたことが何度も続くと、かくも危険な建物や街の方を改良すべきだという意見に行きつくと思います。私たち建築家は、その時にどんな建物や街にすべきか提示する立場にあり、今からそれを考えていく必要があるでしょうね。

藤村:

CIAMは1933年に建築を高層化によって集約させ都市に余白をもたせる「アテネ憲章」をまとめましたが、当時の世界中の大都市に共通する都市計画上での課題のひとつは、都市にいかに空地をつくるかでした。今後、われわれ建築家に求められると予想されるソーシャルディスタンスの課題に近いものがあります。近代都市が目指した公衆衛生の整った住宅の供給や市街地の整備など、これまでと異なる様式を打ち出したい建築にとって追い風となった側面もありました。今後似たような状況が生まれるのではないでしょうか。

乾:

外部にオープンスペースの重要性を説いてきたと共に、近代建築においてはその内側でも衛生状態を確保することは重要な課題で、それらに支えられて新しい都市や建築が外科手術的に開発されていったのかと思います。現代では、大多数ではないかもしれませんが、既存の都市や空間を使いこなすことで職住接近や小さな商いなどの新しいライフスタイルを達成しようとする人たちがいます。それは近代の計画主義的、外科的な動きとはまったく異なり、発酵するというか、内側から世界を変えていくような動きです。建築家はこれまで、そうした新しい潮流に敏感に反応しながら、積極的に後押しをするように空間的な提案をしてきたと思います。新型コロナウイルスは、それらの動きに対する追い風になるような気がします。

西沢:

今回は東京や名古屋などの都市部で感染が拡大しましたが、今後も生じてしまう感染拡大を考えると、2000年代から盛んになされてきた大規模再開発、つまりタワーオフィスやタワーマンション、大型商業施設などによる再開発にとって、大きな試練となる気がします。ひとつの施設に人間をひたすら集めるメガオフィスや、ひとつの商品を大量に販売するメガストアなどは、近代建築と近代経済学の目的が合致して実現されたといえますが、感染リスクを負う個々の消費者や就労者にとっては危険な場所にしか見えず、好ましいものではなくなるでしょう。今回の新型コロナウイルスは、近代建築だけでなく近代的なビジネスの常識に対しても見直しを迫っていると思います。

藤村:

エベネザー・ハワードが「田園都市論」を掲げたきっかけは、アメリカ中西部で暮らしていた経験がもとになっています。都市が無秩序に拡大していくスプロール現象をアメリカで目の当たりにし、イギリスで問題となっていた都市の一極化の解決に繋がるかもしれないと読み替えたわけです。このように100年前の提案にも現代都市の課題解決の大きなヒントがあるかもしれません。

西沢:

今回いくつかの国で医療崩壊が起きましたが、19世紀の医療崩壊はまず戦場で起きました。その対策が民生化されて、20世紀初頭に植民地行政や学校教育の場にもち込まれます。ざっと経緯を整理すると、もともと1799~1815年のナポレオン戦争は、後世の試算によればチフスによる死亡率は20~30%で、文字通りチフスとの戦いであり、医療崩壊の連続でした。1853年のクリミア戦争では英国軍の統計があり、赤痢をはじめとする感染症による死亡者数は戦死者の5倍に達し、その医療崩壊ぶりは英国議会で責任問題に発展しています。1870年の普仏戦争におけるフランス軍の敗北は、万博事業や都市開発で頭がいっぱいのナポレオン3世が医療費を削ったからだという総括もあります。勝利したドイツ軍は国家予算を投じて予防接種を行っていたからです。これに衝撃を受けた日本では、1904年の日露戦争において予防接種を徹底しました。ゆえに感染症による死者数は戦死者の約1/4という当時としては驚異的な値で、その後の各国の軍隊に予防接種を導入させるに至りました。この流れが20世紀初頭の世界中の植民地行政や、小学校などの教育現場に適用されます。今でも日本の小学校では予防接種が行われ、基本的な手の洗い方まで教わりますから、それらが防いでくれる感染症は多いでしょう。ただし、新型コロナウイルスの進化速度は異様に速いため、予防接種という19世紀的な体制では防ぎきれない可能性があります。そうなった場合は、居住環境を改良することで感染を防ぐというのが、歴史的な常套手段です。われわれ建築家はかなりの課題を負わされる可能性もあります。

藤村:

運動場の整備や体育の導入など、日本の小学校教育の近代化の一部は日露戦争による軍事体制の強化と並行していた背景もあるので、そうした流れが起きやすかったのだと思います。今回の非常事態宣言下では多くの学校が閉鎖されリモート授業が試みられましたが、たとえば1990年代以降の小学校建築で多く行われてきたオープンスクール化の取り組みなどには、今後どのような影響を与えると予想できるでしょうか。

乾:

学校が閉鎖され遠隔授業になったことで、引きこもりだった生徒が授業に参加するようになったという報道がありました。コロナ禍において、意外な場面で救われている人たちがいることも事実としてあるようです。近代以降の教育施設は一斉授業が進められた結果、同質的な子供たちをひとつの場所に集めて閉じ込めたようなところがあります。その弊害として生まれたのが、いじめや引きこもりだと思います。オープンスクールは、施設計画の側面からの近代教育に対する批評だったわけですが、根本の教育システムをドラスティックに変えるところまでは難しかったのかもしれません。こうした状況に対して、今回の騒動は、教育のあり方そのものが改善されるきっかけにもなるかもしれません。多様な学びを認め合うような議論が、社会全体で始まることを期待しています。

このコラムの関連キーワード

公開日:2021年05月26日