これからの暮らしの実践者を訪ねる
建築とアートが交わるところ
石井孝之(タカ・イシイギャラリー 代表)× 平田晃久(建築家)
『新建築住宅特集』2017年9月号 掲載
不特定多数の人が出入りする家
石井:
私は、この大塚で高校生まで育ちました。まさに地元。この辺りは大小さまざまな建物が混在していて、すぐ隣は古い木造密集地域。建て替わりも激しいですが昔からの街並みが残っています。上から見ると色の違う屋根がパッチワークのようで、とてもシュールで見ていて面白い。こうやってテラスを歩いているとどこにいても人の気配を感じられます。外の空気とか、家族の気配とか、ここでビール飲んだら美味しいだろうなと思います。そして、この住宅にはほとんど壁がないんです。だから絵や写真はあまり掛けられません。でも外部は多いから立体作品は置けます、たとえばレオノール・アンテュネスというベルリンに住んでいるポルトガルのアーティストの作品とか、どんなアートをどう置くか、いろいろな作品を見ながら思案中です。それから、この家の1階はコマーシャル・ギャラリーで、2階がアートセンターになります。海外の人たちも大勢来ますし、アーティストやキュレーター、不特定多数のいろいろな人達がこの場所にやってくる。彼らはきっと住まいも見たいと言ってくるはずだから、積極的に家を開いて見てもらおうと思っています。その時「日本の家」というイメージをもって訪れたら、驚くかもしれませんね。このヒダの隙間にできるだけアートを置いて、食事をしながら見てもらって意見を聞く。そもそも家って、それだけで終わるなんてもったいないと思うんですよ。
平田:
小さい子どもって、アルコーブみたいなものに入ると安心しますよね。そういう感覚を呼び覚ます場所がそこここにできています。下のギャラリーは大きな6m角のボックスをズトンと岩場みたいに挿入したような場所なので、ドライな場所。その上に行くと人が棲む場に変わっていくようなイメージです。
石井:
この建築が建つ前も、下がギャラリーで上が住宅でした。29歳でこの仕事を始めた頃、職住一体にするのが手っ取り早かった。今特別な仕事じゃなくても、そういう暮らし方、働き方が多いですよね。
今回のギャラリーは、私のギャラリーで働いていた人が運営します。だから私はギャラリーにはほとんど入らないと思います。だって、仕事以外でギャラリーに入るのは嫌だから(笑)。仕事ではずっと緊張してピリピリしていることも多いので、ホワイトキューブではなくて中にも外にも緑がある、境目がないような生活がいいんです。もうひとつ、私は千葉にアトリエ・ワンにつくってもらった海の家があるんです(「ビーチ・ハウス」『JA』2012年春号)。そこにはサーフボードが置いてあって、週末になったらそこに行ってサーフィンをしています。そこも外と中があいまいで、一切壁がなくて、全部窓が開けられる家です。設計当初、塚本由晴さん貝島桃代さんたちが3つくらい案を用意してくれて、どれがいいかと言ってくださったのですが、いちばん開放的な案を選択しました。海辺の砂浜が家まで繋がっていてすぐに海に出られるし、中にいても海を感じられる家です。
3.11以後と以前
平田:
このプロジェクトは2009年に設計を始めて、2011年で一旦休止した後に復活して実現しています。東日本大震災以前に考えていたことが保存され、今解凍されてできていることが非常に象徴的に入り込んでいるといえるんです。こんな提案を今できるかという気持ちにもなるし、自分自身で新鮮でもある。写真家の畠山直哉さんも仰っていましたが、震災後、医薬品のようにアートが使われているという意見を聞きます。アートって本来そういうものではないはずなのに、何か一定の効能のためにつくられる目的化したアイテムとなっているという意見です。建築は機能があって何かのためにつくられるけれど、正当化される建築だけがよいとされるバイアスがすごく強くなっていると感じます。学生の提案も身の回りの問題解決型が非常に多い。そういうことに目を向けることはすばらしいけれど、それだけでよいのかと思うこともとても多いです。明確に何かに役に立っているかどうかはよく分からないけれど、強い表明が建築にもないと、間違いは起こらないけど感動するものができないと思うんです。
石井:
何か大きいカタルシスがあると、人を癒したり、街を活性化させる、目的化されたアートが多くなるんです。アートの力を試されたりするともいえます。でもそれは自然発生的に起こるはずなのですが、需要が多ければそれを仕事にする作家も増えてくる。そして何年も引きずってそればかりになるのは、特に日本でその傾向が強いです。そろそろ次に行こうよ、という動きは、最近やっと出てきたと思います。畠山直哉さんのように被災者という立場の作家にとったら自らの作品に強く影響するのは当然。でも、全く関係ない人にも強く表れ続けるのは、作品をつくる上で題材が目の前にあってつくりやすいともいえるし、需要が多ければそこに便乗しているようにも見える。それをすっきりした気分では見られないところがあります。アートの力で人は救えない、そう思っているのは私だけでしょうか。私は東日本大震災以後に、2週間何もギャラリーに飾らない「NOART」(2011年3月30日?4月28日)という展覧会を行いました。展覧会といっても何の体験もなく、壁面は何も展示しないで白い壁だけ。「アートの力では何も変えられない」ということを言いたかったんです。
目的化されたアート
石井:
地方でたくさん起こっているアートによる街おこしも、ただでさえ人口が減少している街に、そこにはあり得ない数の人が押し寄せてくることがある。本当に地元の人が喜んでいるか、観光に寄与しているかを単純な数字だけで判断して、本当にその街のためになっているかを今一度繊細に考えないといけないと思います。それから、特に震災以降、アートの世界でも作家が街の人を巻き込んで、老人も子供達も一緒になってひとつのものをつくる動きが出てきました。それはとても面白い動きだとは思います。各地のイベントは街おこしにもなっているのでしょう。でもその行為が街の人にとってみたらアートなのかいうと、セラピーに近いかもしれないし、街の人がその作品性を理解して参加しているかというとそうともいえないことも多い。フェスティバルとして面白いと思えても、それが純粋なアートかということには疑問があります。アートは人間にとって特別なものであってほしいと思うんです。
平田:
今までアートって、ギャラリーや美術館に行って、自分の暮らしではないところで非日常として楽しむものでした。しかし非日常と日常の境目がなくなってくると、アートも問題解決型に使われてしまうということですね。
石井:
そうなんです。日常では味わえない何かを感じ取ることです。作家が街に出て子供達と何かやることを制作の条件にしたら、ひとつ作品性を落とさなくてはいけなくなると思うんです。その動きまでアートであるとしてよいのかと思います。
平田:
先日、京都大学総長で霊長類研究者である山極壽一さんに聞いたのですが、動物の中で人間が唯一家族と同時にいくつかの共同体を持っているのだそうです。チンパンジーは共同体だけ。ゴリラは家族だけ。家族を持ちながら共同体的にふるまう二重性をもつのは人間だけというのです。家族を結びつけるのは家、共同体を結びつけるのは、たとえば神様や言語など抽象度の高い象徴的なものです。先程石井さんが仰ったアートと非日常という話とどこかで通じます。ピラミッドとか墓とか、人を畏怖させるものと、家族の延長で助け合ってつくる家。これはある種両極ですよね。両極だけどそれがひとつになっているのが人間で、それが建築といえる。石井さんのお話しを聞いてそう思いました、そこの間をどう考えていくのかが今すごく混乱していて。私の師匠である伊東豊雄さんも今、「台中国家歌劇院」(『新建築』1703)のようなある種ピラミッドのようなものをつくりながら、もう一方で大三島では民家をつくっている。それは建築家の思考としてどう統合されるのかと思うと、伊東さんでもまだよく分からないと思うんです。石井さんの家は、その家的なものと、得体の知れない何か、何でこんなことになってるんだという感覚が混ざることを意識していたと思います。
このコラムの関連キーワード
公開日:2018年03月31日