「建築とまちのぐるぐる資本論」取材10
生物多様性とともに豊かに生きる──地主による変革の起点
石井光(聞き手:連勇太朗)
共に住むことによる好循環
連:
賃料の設定を含め、新築4棟の募集時にはどのようなことを考えながらリーシングを進められたのでしょうか。
石井:
家賃は、周辺の相場の1.3〜1.5倍で募集していました。大手の不動産情報サイトでは、数字だけで測られてしまうので価値が理解されないと思い、掲載しませんでした。環境によって植物が異なるように、人間もコミュニティや生態系などの環境条件との相性があると思っているので、僕自身が住人の方を選ぶようなことはせず、自然なご縁とタイミングの合う方に決まっていっているような気がしています。
賃料は高ければ良いというわけではないのも難しいところです。もちろん収益や将来への展開のことを考えると高い方が良いのですが、賃料を上げ過ぎると消費的な暮らしに依った人が増えて、住人さんの属性の幅が狭まってしまうかもしれません。
連:
このような共有空間が多い場所である種の共同生活を成立させるうえで、住人の方々のルールはどう設定されているのでしょうか。
石井:
住みこなすための冊子をお渡ししていますが、農薬や化学肥料を使わないこと以外、細かいことは定めていません。
庭の草刈りなどのメンテナンスは僕がやったり、住人さんがやってくださったりケースバイケースです。ようやく最初の1年が回ったところなので、日々のメンテナンスは試行錯誤していますが、うまく仕組み化していきたいと思っています。
連:
運営して1年が経ったとのことですが、当初イメージしていたことと比べて実際はどうでしたか。
石井:
僕の想像を上回る素晴らしさがあります。パーマカルチャーや生物多様性のための場所という基本的なコンセプトは僕がつくったのですが、例えば住人さん主催でガーデンパーティが開かれたり、フラワーアーティストの住人さんが分けてくださったロスフラワーを自宅の食卓に飾ったり、僕だけではできなかったこと、思いもしなかったことが起きています。僕は特にサウナが好きというわけでもないのですが、詳しい人が色々教えてくれるので、テントサウナの設置はとんとん拍子に進みました。デザインコンサルティングをされている住人さんと一緒に田んぼのコンセプトをつくる相談をしたり、グラフィックデザイナーの住人さんとサインプロジェクトを計画したりもしています。
うちの子どもは2歳半で、ちょうど同じくらいの年齢の子が住人世帯にもいるので、子ども同士が一緒に遊んだりしますし、シングルマザーの住人さんの子どもの保育園お迎えを別の住人さんがするといったことも自然に起きています。
生態学の研究から大家業へ
連:
大学では生態学を専攻されていたそうですね。ちっちゃい辻堂のあり方とそうしたバックグラウンドに深いつながりを感じます。
石井:
小さな頃から、庭にいたカエルやトカゲ、ヘビなどの生き物が好きで、テレビ番組『どうぶつ奇想天外!』の千石正一先生のコーナーもすごく好きでした。千石先生は動物学者で、爬虫類や両生類の研究者でした。
大学時代は景観生態学の研究をしていました。具体的には、森林伐採による生態系へのダメージと回復を研究すべく、奄美大島で、カエルとその餌資源としてのゲジゲジ、カマドウマ、クモ、ゴキブリ、バッタ、コオロギなどの種類と量を調査していました。カエルは両生類で、皮膚から水を吸うので環境要因を受けやすく、環境を測るひとつの指標になるからです。ところが大学院1年生の時に、自動車の自損事故によって研究の道が途絶えてしまったことが人生の大きな転機になりました。
山崎亮さんの影響もあります。大学で国立公園に関するパネルディスカッションがあり、登壇者のひとりだった山崎さんの話が独特で印象に残っていたので、研究が頓挫してロンドンに語学留学をしていた頃に著書を読みました。コミュニティデザインは、大学時代に茨城県の「アサザ基金」でインターンをしていた経験ともつながりました。アサザ基金は、外来魚を捕獲して、魚粉にして肥料とて畑で使い、有機野菜を育てることで環境保全になる、というように複数の問題を同時に解決する活動を色々と行っていますが、コミュニティデザインも、人々のつながりの希薄化による複合的な社会問題に向き合うという意味で通じるものを感じました。
連:
代々地主の家系であることについてどのように自覚的になり、今の活動を始められるようになったのでしょうか。
石井:
頻繁にハウスメーカーの営業担当者が祖父に営業しに来ていたのを見ていました。ハウスメーカーのスキームは「相続税が大変だからマンションを建てましょう」というものです。相続税は確かに大きな問題で、かつてはうちの土地だけで浜まで行けたそうですが、今では見る影もありません。祖父の代までは運用は管理会社に任せきりだったので、土地の切り売りによってやり繰りしてきたのです。現在でも固定資産税は結構な負担です。
うちは親が離婚していて父親がいなかったので、僕自身も相続について考えなくてはいけない立場でした。ハウスメーカーのセミナーに行ってみたこともあります。ただ、山崎亮さんの本などを読んでいたこともあり、空き家が大きな問題になっているこの人口減少社会で、マンションを新築するのはさすがに違うだろうと感じていました。
三浦半島の小網代の森で自然保護を行っている特定NPO法人「小網代野外活動調整会議」に関わったり、神奈川県藤野町(現・相模原市緑区)の「パーマカルチャーセンタージャパン」でデザインコースを受講したり、青木純さんが校長を務める「大家の学校」の1期生になったり、有機農家で研修したりしながら、辻堂の未来に向けた試行錯誤を始めたのです。
地域の持続可能性へ投資する
連:
この「建築とまちのぐるぐる資本論」では、次の時代のモデルになっていくような素晴らしい実践の数々を取材してきましたが、その一方で、野澤千絵さんが指摘しているように、宅地開発とタワーマンションによる「住宅過剰社会」は進行中です。また、饗庭伸さんも「都市のスプロール、スポンジ化を止める、構造を大きく変えるような都市計画の制度は存在していません」とおっしゃっています。社会の現状に違和感をもっている人は少なくありませんが、大局は厳しい状況です。石井さんは、この小さな実践と大きなシステムとの関係性をどう考えられているのでしょうか。また、展開の道筋があるとしたらどのようなものだとお考えですか。
石井:
辻堂の現状も、大きな屋敷や土地が切り売りされ、マンションが建ち、駐車場ができることで、緑や土の部分はどんどん失われ、そこにいたはずの虫や鳥がいなくなり、人間と自然の関わりが乏しくなっています。
ですが、今マンション開発をやっても、20年後30年後に本当にそこに住んでいる人がいるのでしょうか。そもそもたった30年でゴミになってしまうというのは、解体費用やゴミの問題など含めて、ロスが大きすぎると思います。人口が減っていくなかで需要と供給のバランスが崩れるのは確実ですから、それにお金をかけるよりも、生態系までを含めたコミュニティに投資した方が良いと思っています。既存の不動産業や大家業は、沈みゆく船の中で小さな踏み台を持ってきて自分だけそこに立つかのように、ちょっとした時間稼ぎをしているに過ぎないのではないかと感じます。もっと長期的に、面的にまちの底上げをしなければいけない状況です。藤沢市を見ても所得格差が問題になっていますから、自分たちさえうまくいけば良いわけがありません。
僕は、コミュニティ農園のメンバーである友人のカメラマンに撮影を依頼したり、不動産関係の友人に仕事を依頼したり、また別の友人にイラストを依頼したり、地域内でお金を回すことを意識しています。相手を信頼して相見積りを取らないのは気持ちがいいですし、多少高かったとしても、その人の実績になり、地域が潤うなら、何かしらのかたちで自分に返ってくる気がしています。
今は小さな点の実践ですが、ゆくゆくは他の大家さんにも広まり、面になったら良いなと思います。その場合は、各大家さんの個性、発意、情熱が立ち現れた空間であるべきだと思います。ちっちゃい辻堂の真似では中途半端になりますし、長く続きませんから。思想を共有できる人たちが集まり、点から面になっていくことで、エリア内での住み替えもしやすくなります。家族が増えたら近所で住み替えをして、同じコミュニティで関係性を積み重ねていくことができます。
「まちや環境に良いことをしても儲からない」のではなく、資本主義に片足をしっかり置いて、事業が回ることを数字で示すことも今後の課題です。生物多様性をもった場所、畑や井戸、薪、そして人のつながりがある防災力の高い場所の価値は今後ますます上がっていくはずですし、僕ら自身の幸福度も上がります。
今はまだ収益は十分ではありませんが、踏ん張りどころです。第2期として、徒歩2分のところに平屋1軒とメゾネット2軒による長屋が工事中です。今後もゆっくりと着実に進めるつもりですが、家賃収入以外の収入も考えていかなくてはなりません。
連:
時間に対する考え方を変えるということですね。長いスパンの時間で捉えることが肝心で、敵は、ミヒャエル・エンデ『モモ』(岩波書店、1976年)に出てくる「灰色の男たち」なのかもしれません。
石井:
現在の資本主義の状況を考えても、そろそろ潮目が変わるはずです。民間による緑地整備を認証して財政支援するような話も国土交通省から出てきていますし、企業もそうした流れを無視できなくなっています。気候変動や生物多様性の危機、夏の猛暑などは待ったなしですし、物価高騰、円安でお金も目減りしていきますから、コミュニティや経験、野菜やお米の生産などの実態的なところに投資した方が意味があるのではないでしょうか。コミュニティがあれば、田畑からの収穫もできて、物々交換なども増えますし、貨幣経済への依存を減らし、暮らしから豊かさが生み出せるはずです。そうしたものの積み重ねがまさにボトムアップです。
近所の両諏訪神社では夏祭りが残っていて、僕は子どもたちにお囃子を教えています。祭りも、自然と人との関わり、五穀豊穣を祝うものです。豊かな風景という基底があり、自然と人との相互作用のなかで文化が育まれていくと思います。
ちっちゃい辻堂で掲げている「100年先の風景を想像」とは、つまり僕らの死後を考えることです。死後の世界ではお金や不動産を所有することはできませんから、それらは次の世代にバトンタッチしていくものと考えれば、多くの人が変わっていけるのではないでしょうか。
このコラムの関連キーワード
公開日:2024年06月26日